中川勝彦 歌手デビューから40周年!!
1984年2月22日「してみたい」で
デビューした中川勝彦が、
本日、デビュー40周年を迎えた。
1984年にミュージシャンとして
デビューする以前の10代には
すでに映画「ねらわれた学園」や「海峡」、
「転校生」などさまざまな作品に
俳優として出演しており、
その整った美しい顔立ち、
ルックスには注目が集まっていた。
今までこんなにも美しい男性を見たことがない!
と断言できるほど、
中川勝彦のビジュアルは当時から抜きん出ていた。
今でこそ、ヴィジュアル系アーティストという
言葉は定着し、当たり前のように使われるが、
当時、そんな言葉は存在しなかったはずだ。
私が初めて中川勝彦を知ったのは
1986年に放送された
日本テレビ年末時代劇「白虎隊」。
幕末を描く物語の中、
新選組の沖田総司役を演じたのが中川だった。
これまでも数々、
時代の美少年が演じてきた沖田総司だが、
いまだに
「誰の沖田総司が好きか?」
という話題になると、
SNS上ではきまって中川勝彦の名前が上がる。
それほど、中川の演じた沖田総司は、
あまりにも儚げで、クールな美少年ぶりが
イメージにぴったりだった。
・・・と、ルックスのことばかり書くと、
「ルックスの話はもういいから!
音楽のこと書いてよね」と
顔に似合わぬバンカラで豪放磊落な
かっちゃんの声が
今にも聞こえてきそうなので
話をアーティスト・中川勝彦に戻そうと思う。
私はこの時代劇を通して中川勝彦という人と出会い、
彼が音楽をしていることを知った。
すぐにレコード店へ走り、
そこからシングルやアルバムを無我夢中で買い漁り、
聴きまくる中学時代を送ることになった。
デビューシングル「してみたい」には、
まるでデヴィット・ボウイを
意識したかのようなメークを施した中川勝彦がいた。
時はニュー・ウェイヴ全盛期。
中川もその波の中にいたようにも感じたし、
デヴィット・ボウイを意識した
グラムロック路線の中にいるようでもあった。
2枚目シングル「花の首飾り」は、
ザ・タイガースのカバー曲。
ちょっと意外なセレクトではあったが、
中川の憂いのある歌声には
うまいことハマっていたように思う。
ちなみにこのレコードジャケットは、
フリルの襟の衣装が印象的で、
その姿はまるで貴公子か王子様のようだった。
(これがまたよく似合っていたのですよ…)
そして「Please, Understand Me」。
初期のシングル曲としては、
ここで少し一皮むけたイメージを
感じたのがこの曲だ。
はじめて中川勝彦の曲の中で、
ロックを感じさせるものだったように思う。
そして「Skinny」、「ナンシー・Chang! (REMIX)」
「クール・ロマンティック」と名曲が続くのだが、
個人的にはどこか本人が、迷いながら手探りで
音楽活動をしているようにも映った。
これは勝手な想像だが、
美しすぎるそのルックスが邪魔をして、
制作サイドが望む美しい世界感を描く中川勝彦像と、
本人がやりたい音楽との間に、
溝のようなものがあったのではなかっただろうか。
子供ながらにもなんとなく…
そう感じるところがあった。
そして大きな転機となったのが、
1986年にリリースされた
「FROM シンデレラ」だ。
この曲で日本を代表する名ギタリスト・Charと
タッグを組むことに。
これぞロック!といわんばかりの
疾走感溢れるロックチューンに、
今まで見たことのないイイ表情をした中川勝彦がいた。
Charとロックバンドを結成。 アルバム『MAJI-MAGIC』は至極のロックンロール!
その翌年の1987年にはCharをはじめとした
錚々たるメンバーたちと
バンド・MAJI-MAGICを結成。
同名のアルバム『MAJI-MAGIC』をリリースした。
個人的に、中川勝彦作品の中で、
このアルバムが一番好きだ。
それは中川勝彦が本当に心から
音楽を楽しんでいるように見えるから。
もともと学生時代に
バンドを組んでいたこともあり、
やっと自分がやりたい音楽に
巡り合えたのではなかっただろうか。
当時はよくバンドメンバーで音を出し合い歌ったり、
一緒に話をしながらスタジオで曲作りをする
笑顔の中川の姿が音楽雑誌に掲載されていた。
その姿も表情も何もかもかが、
活き活きとしていて、なんだか微笑ましかった。
時にはいたずらっ子のように、
時には真剣な眼差しで音楽にうちこむ姿は
音楽に初めて触れたときの初期衝動のようでもあり、
まるで子供にでも戻った少年のようでもあった。
この頃、音楽番組に出ても
音楽制作が楽しくて楽しくて仕方がなかったようで、
話が止まらないなんてシーンもあった。
アルバム『MAJI-MAGIC』は、
もっと評価されていいロックの名盤だと思う
当時幼かった私は、
楽器の音色を聴き込むといった
聴き方はしたことがなったし、
ギターの音がこんなにも
カッコイイものだとは知らなかった。
Charの研ぎ澄まされたギターの音に触れたとき、
なんの予備知識もない子供の私は、
心が大きく揺さぶられ、
1日中ヘッドフォンをしてギターの音に集中した。
何度も何度もレコードの溝がすり減るくらい
ヘヴィロテする娘に、
親は気が変になったのではないかと心配するほどで、
それほどこのアルバムに没入した。
のちに私自身、ロックに夢中になる
きっかけをくれたのが、このアルバムであり、
Charのギターだった。
そんなCharのギターと、
中川勝彦の少し独特な浮遊感のある歌声が溶け合い、
混ざり合うと、怒濤のように音が迫ってくる。
最高にクールなバンドの音に誘われ、
中川の歌声がたちまち勢いを増す。
それはけっして荒々しさではなく、荒ぶる強さでもない。
情熱的でしなやかで、凜とした気高さみたいものが
中川勝彦のパフォーマンスには必ずあった。
音楽の楽しさや素晴らしさを教えてもらった
筆者にとって、宝物のような1枚だ。
中川が常連のように掲載されていた
音楽雑誌ARENA37℃が愛読書となった私は、
いつしか音楽ライターを夢見るようになり、
「いつか、かっちゃんにインタビューがしたい」
と願った。
けれど、それは1994年9月17日、
白血病による中川勝彦死去のニュースを聞いたときから
行き場を失ってしまう。
今なお時を刻み続ける 中川勝彦という存在
音楽ライターとなり、
Charさんに初めてインタビューが叶ったときのこと。
もちろん仕事なので、
どんなに憧れのアーティストであっても、
サインをお願いするようなことはけっしてないのだが、
このときばかりは図々しくも
CDを持参してお願いしてしまった。
長い音楽ライター人生ではそうそうないことだった。
しかも持参したのはアルバム『MAJI-MAGIC』。
「Charさんのオリジナル作品ではないのですが・・・
もしよかったらサインをいただけないでしょうか」
と緊張しながらお願いすると、
Charさんはたちまち笑顔になって
「おー、勝彦か」と一言。
Charさんからかっちゃんの名前が出たことが
とてつもなく嬉しかった。
そして少し寂しそうに
「(亡くなるなんて)もったいないよな…」
とつぶやいたその言葉に、
たちまち胸が張り裂けそうになった。
サラサラとペンを進めながら、
Charさんはまた笑顔に戻り、こう言った。
「でも、今ではあんなに素敵なお嬢さんを
残してくれたから」。
中川翔子、父の名曲「ラスト・ウィッシュ-同じ色のクリスマス-」 カバーにCharも参加したことも!
そう、Charさんの言った〝素敵なお嬢さん〟、
それは中川勝彦の娘である中川翔子さんのことだ。
これは、もはや知らない人はいないだろう。
しょこたんこと中川翔子さんが
芸能界に登場したとき、
子供の存在を知らなかったファンの間では
どよめきが起こった。
と同時に、かっちゃんファンの誰もが
〝よかった〟〝嬉しい〟と喜んだ。
かっちゃんの娘さん、
かっちゃんが残してくれた命が、
この世に存在すること…
こんなミラクルな素晴らしいことが起こるなんてと…
私もしょこたんの存在が心底嬉しかった。
しょこたんにとっては、
きっと私達ファンには、はかり知れないほど
たくさんの複雑な想いがあったことだろう。
それは子供にとってすれば当然のことだったと思う。
けれど、しょこたんはそうした葛藤を乗り越え、
今、父の曲をカバーし、歌ってくれている。
特に2014年にリリースしたアルバム『9lives』では
ボーナストラックとして
父・勝彦氏の名曲中の名曲
「ラスト・ウィッシュ-同じ色のクリスマス-」
をカバーし見事に歌い上げた。
レコーディングには、
共同作曲したCharも参加したと聞き、
思わず涙が溢れた。
かっちゃんのファンが、
しょこたんに父上の影を重ねてしまうのは
しょこたんを辛くさせたり、
重くさせたりするのではないかと、
いちファンとして心配したこともあったけれど、
こうして今、父の歌を歌い継いでくれたり、
父親としての顔を語ってくれたりすることは
本当に嬉しく、しょこたんはいつも
温かな気持ちを運んでくれる春風のよう。
しょこたんがこうして今ここにいてくれることが、
かっちゃんの「MAGIC」、魔法のようでもある。
先日、突如、かっちゃんが描いた
猫のイラストがTシャツとなり、
しょこたんの手により発売された。
しょこたんも絵が天才的に上手で、
また、かっちゃんも抜群に上手かった。
かっちゃんが描いた絵がTシャツになるなんて、
まるでかっちゃんの周年のお祝いグッズのようで、
ファンは大いに喜んだ。
商品ページ
そして奇しくも昨日、
中川勝彦の曲がサブスク解禁された。
今この瞬間も、ファンの人たちが歓喜して
ちょっとしたお祭りのようになっており、
しょこたんもこんな風につぶやいている。
まるで周年を迎えたきょう、
かっちゃんからの贈り物のようにも感じられて、
とても温かな気持ちになった。
私たちの喜ぶ姿をかっちゃんも見ていて、
笑ってくれている気がする。
アーティストが居なくなっても、
残した曲は消えることはないと、
よく言われるが、
それはきっと曲だけでない。
ファンの誰もが、これからだって
かっちゃんの存在を忘れることはない。
その証拠に、こうして時を刻むことを
やめずにいるのだから。
それはかっちゃんがどこに旅に出ようと
変わらない想いだ。
かっちゃん、40周年おめでとうございます!
きょうも、あなたの素晴らしい楽曲が
私たちを包んでくれています。
かっちゃんに出会った日からずっと変わることなく、
私たちは中川勝彦を、
そして、その音楽を愛しています。