ロック界のレジェンド
Ritchie Blackmoreが語る、
Eric Claptonとの出会いや
音楽に関する様々なエピソードをご紹介します!
引用元:
https://www.youtube.com/watch?v=aXVcOvYu_bs&t=457s
Ritchie BlackmoreとEric Claptonの意外な関係
Candice Night:
皆さん、こんにちは。
Candice Nightです。
そして、Ritchie Blackmoreです。
皆さんの中にはご存知の方も
いらっしゃると思いますが、
私は長年、Ritchieに本を書いてほしいと
お願いしてきました。
これは、私が過去34年間耳にしてきた
彼のアメージングなストーリーを
皆さんに伝える、
最も近い機会になるかもしれません。
彼の最も身近な人間しか聞いたことのない話です。
そこで、まずは彼とEric Claptonの
出会いについて話してもらおうと思います。
Ritchie Blackmore:
この話は、僕がEric Claptonと
どうやって出会ったかについてです。
Deep PurpleがCreamをサポートしていた
ロサンゼルスのフォーラムでの
公演を覚えています。
面白いことに、最前列には
Jimi Hendrixと
George Harrisonが
座っていたんです。
ショーの前に、ちょっと奇妙な経験でしたね。
Ericは僕がいた
Deep Purpleの楽屋にやってきました。
僕たちは正式に会ったことがなかったので、
お互いを紹介し合って、
少し世間話をしました。
僕はいつもEricの、
素晴らしいギタープレイだけでなく、
彼のサウンドにも感心していました。
あの太い音が大好きだったんです。
「Eric、最初はどんな弦を使っていたんだ?」
って彼に質問したんです。
彼は
「クリフォード・エセックスの弦を使っていた」
って答えたんです。
「ワオ、クリフォード・エセックスか」
ってなって、すぐに彼の後を追って
クリフォード・エセックスの弦を買いました。
しばらくの間、ずっとそれを使っていました。
それから彼はピカトの弦も
使い始めたと言っていました。
だから僕もその後はピカトの弦を
使うようになったんです。
でも、どうやってあんな
素晴らしいサウンドを出しているのか
知りたかったんです。
基本的に、彼は最初は
クリフォード・エセックスの弦を使っていて、
それからピカトに移行したんです。
そして、これらの弦を僕は
何年も使い続けました。
全ては彼の影響です。
それから僕たちはステージに出て演奏し、
Creamが演奏しました。
いつものように素晴らしかったですね。
次に彼に会ったのは、
僕の誕生日の時だと思います。
彼は病気で入院していて、
ミネアポリスかどこかだったと思います。
僕たちが泊まっているホテルと
同じホテルでした。
ドアをノックする音がして、
ドアを開けるとEricが立っていました。
彼は小さな木の棒を持っていて、
その棒の先には
アヒルのおもちゃがついていて、
押すとクワッククワック鳴るんです。
「誕生日プレゼントだよ」
って彼は言ったんです。
Ericとそんなに
仲が良いわけじゃなかったので、
びっくりしました。
僕はそのアヒルを受け取って、
いろいろ話をしました。
彼は数年、
そのアヒルを持っていました。
彼からの素敵なプレゼントでした。
ストラトキャスターの始まりは、
間接的にEric Claptonからでした。
僕はバンドのメンバーと一緒に
アクトンに住んでいました。
Deep Purple全員で
一軒家に住んでいたんです。
僕はいつもストラトキャスターを
弾いてみたかったんです。
Ericのローディのひとりが、
僕たちのローディのひとりを知っていて、
少しネックが曲がった
ストラトキャスターを持って
家にやってきたんです。
僕はそのギターに
とても興味を持ったんです。
「これ、売ってもらえますか?」
って聞いたら、
「はい」って言うんです。
それで、僕はそのギターを
60ポンドで買ったんです。
それはEricの古いギターで、
Ericが誰かにあげていたんです。
そのローディの名前は忘れましたが。
そしてその後、
別のストラトキャスター、
オーラ・ストラトを買いました。
そして、黒いストラトも買いました。
記憶が確かなら、これは
1970年代か71年のことだったと思います。
僕はストラトキャスターで、
ネックが気に入らないということが
よくあったんです。
だから、ネックの裏にある
3つか4つのネジを外して
ネックを外すという習慣がありました。
また、ネックを接着して、
より安定させることもありました。
なぜなら、フェンダーは、
どれだけ好きで弾き続けていても、
トップのE弦がフレットボードから
少し外れてしまい、
ボトムのE弦が入ってしまう
傾向があるからです。
だから、ネックを上に引っ張って接着すると
位置が固定されて
ずれることがなくなりました。
なぜなら、ネジ3本では、
接着剤で固定した場合のように
安定しないからです。
それが僕がストラトキャスターで
行っていた小さなことでした。
別の時、メルボルンか
オーストラリアのどこかで
ホテルに泊まっていました。
僕たちはホテルで早朝に
ハンマーの音で起こされ、
3日間もそれを繰り返されていたんです。
もううんざりして、
フロントデスクに
「もし明日も起こされたら、
僕たちはすべてのアンプを持ち込んで、
朝3時に演奏するぞ。
君たちの客がこんな音を聞いたら
どうなるか教えてやる」
と脅しました。
そして次の日、
いつものようにハンマーの音で
起こされました。
彼らは僕たちの言ったことを
無視したんです。
それで僕たちは、
マーシャルのアンプを持ち込んで積み重ね、
僕の友人がギターを弾き始めたんです。
実際には、彼はとても下手なブルースを
弾き始めたのですが、
とにかくものすごく大きな音でした。
するとドアを叩く音がして、
Ericのセキュリティでした。
信じられないことに、
Ericは僕たちの隣の部屋にいたんです。
僕はEricが別の階にいて、
僕たちからかなり離れたところにいると
思っていたんです。
それは恥ずかしいことでした。
それで演奏をやめました。
Ericの隣で、彼が寝ようとしているのに、
朝の3時に、下手なギターを弾く
友達がいるなんて。
それは恥ずかしいことでした。
それで僕たちはやめましたが、
次の日、彼のセキュリティと少し言葉を交わし、
「本当にごめん。隣にいるなんて知らなかった」
と言いました。
とにかく、それはちょっと
恥ずかしかったですね。
特に、Ericは僕がギターで騒音を立てていると
思ったかもしれないからです。
僕はそこで飲んでいましたが、
演奏していませんでした。
でも、それは僕を言い訳にはできません。
そして、あんなに大きな音を出すのは、
本当に僕のアイデアだったんです。
そのホテルを出て
イングランドに戻ると、
泊まったホテルには黒板があって、
そこに
「午前7時に火災報知器が鳴ります」
と書かれていました。
「また始まった」
と思いました。
「また騒音に悩まされるのか」。
それで、
「もしそうするなら、
僕たちはアンプを持ってきて、
オーストラリアでやったように
演奏し始めるぞ」
と言いました。
そして幸運なことに、
デスクの後ろにいる男の一人が、
「ちょっと待ってくれ。
新聞でこれを読んだばかりだ。
こいつらは本当にそうするぞ」
と言ったんです。
それで、火災報知器の時間を
午後1時というまともな時間に
変更してくれたんです。
だから、僕たちの評判は
先に立っていたんです。
つまり、僕たちはマーシャルを持って
ホテルに行って騒ぎを起こすことで
有名になったんです。
その後、Ericとは関節炎の一種である
多発性筋炎にかかっているという点で
共通点がありました。
ミュージシャンにとって、
それは最悪の病気の一つです。
これが僕の小さなEric Claptonの話です。
Candiceはいつも僕に
これらの話を
書き留めるように言うんだけど、
僕はそれらは個人的で、
時々ばかげていると思うんだ。
だから、僕は本を書くつもりはないんだ。
バーで飲んでいる時に
友達に話すような
たくさんの話があるんだけど、
また何か思いついたら君たちに話すよ。
もし誰か聞いてる人がいたらね。
あ、録音するの忘れた。
冗談だよ。
※一部意訳を含みます
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