中川勝彦 ワーナー時代TALK REVUE してみたい (1)

1984年2月22日、シングル、そしてアルバム『してみたい』による衝撃的なデビューから40年!
遂に中川勝彦ワーナー期全音源がストリーミング解禁された。アップされたのは2008年時のリマスター音源かと思われるが、各々愛用のサブスクリプションサービスにより、いつでもかっちゃんの代表曲の数々が聴けるようになったのである。
ワーナー期に駄作は皆無で、その多岐にわたるヴォーカルアプローチも『してみたい』から開眼、楽曲提供やアレンジャー陣にも恵まれるとともに、コンポーザーとしても急激に成長していったロックミュージシャン中川勝彦の80年代が堪能できるはずだ。

バディットマガジンでは今回のサブスク解禁を祝して、共にかっちゃんフォロワーを自認する村上あやの北村和孝による対談により、ワーナー期中川勝彦の音楽性について紐解いていきたい。
4〜5回の連載になる予定です。まずはデビューアルバムから!

中川勝彦
1stアルバム『してみたい』(1984年)
始まりなのにいきなり完成形

北村:最初に言っておかなきゃいけないのは、僕は生前のかっちゃんのライブなど観られていないし、取材もできてないんです。ちょっと世代的に間に合わなかった。残念ながらこの仕事を始めるときにはもう旅立ってしまわれた方です。

あやの:私もそうです。だから私とか北村さんの世代よりかちょっと上の方じゃないと多分取材してないですよね。

北村:でね、僕は当時、かっちゃんで納得いく音楽的な記事っていうのはほとんど目にしたことがない気がする。

あやの:そうね。そう言われるとね、いや、確かにそう、間違いない。それは私も見たことがないかも。音楽的な内容でしょう?

北村:うん。だから僕がこれから話すことはいろんな別の取材を通じたりとかしてだんだんわかってきたことばかりなんですよ。憶測も多いけれど。それに僕が聴き始めたのは『してみたい』からじゃないから、世代的に1st、2ndはもうとっくに出てて、僕が意識し出したのは『ペントハウスの夏』くらい。だいたいそういう日本のロックとかを僕が意識的に聴き始めたのって1985年とか86年ぐらいなので。で、これもファンの方には申し訳ないんだけど、中川勝彦の音楽が当時すごくセールス的に売れていたかどうかっていうと、正直そこまでではないっていうのが現実じゃないですか?

あやの:うん。現実です。言いたいことはわかる。

北村:だけど当時の雑誌にはすごくよく載ってた。記事としてはね、アルバムが出ればディスクレビューみたいなものは載っていたし、例えば当時の明星の付録だったYOUNG SONGのディスクコーナーとかに載っていたから情報としては知っていたんだけど、音楽的なところまで突っ込んでいるようなインタビューってほとんど読んでないんだよね、当時。

あやの:なんかね…当時の記憶ですよ? 私も中学生ぐらいですけど、その頃ってとにかく「ARENA 37℃」=中川勝彦だったんですよ。わかります? CBS・ソニー出版のGBとかはソニー系のアーティストが中心だったから。でもARENA 37℃にしても中川勝彦の音楽性みたいな切り口ではあんまり追っかけてなかったと思う。

北村:無理もないというか、まだそういう時代じゃないんだよね。1984年デビューだから…。

あやの:そうですね。

北村:『DOUBLE FEATURE』などで音楽評論家の平山雄一さんがライナーノーツを書いてたりっていうのは、何とかかっちゃんをミュージシャンとして見てもらいたいっていう制作者サイドからのメッセージだったと思うんだよね。

あやの:確かにそれはありますよね。

北村:その後にロック雑誌が増えてくんですよね、ロッキングオンJAPANとか。当時はまだロックって一般層まで浸透するような言葉じゃなくて、80年代中頃まではニューミュージックとか言っていた時代だから。中川勝彦ってよく早すぎた人って言われるんだけど…。

あやの:言われますね、はい。

北村:中川勝彦のような人をちゃんと扱える媒体が存在しなかった。

あやの:そう。

北村:一般的にそれを受け入れる環境もなかったんだよね。今さ、実はかっちゃんに一番近い存在ってGACKTさんだと思っているんだけど、当時じゃありえなかったじゃない? ああいう人がいなかった…近い人で言えば吉川晃司さんくらいか。なんていうのかな、バラエティにも出てもOKだし、下ネタ言ってもOKだし

あやの:そうですね、役者もOKだし、みたいな。

北村:当時はね、やっぱり音楽は音楽、俳優は俳優っていう風で捉えられる風潮だから。かっちゃんみたいな下ネタ言うとちょっと引いちゃうとかね。でもいまや福山雅治さんが下ネタを言っても誰も引かないわけで。

あやの:むしろ好感度が上がるぐらいの感じで(笑)。

北村:そういう意味でも先駆者すぎたんだよね。

あやの:確かに。本当にあの時代にね、マッチできてなかった。良い意味であのキャラクターは先を行き過ぎていて、だから音楽的にもそうですよ、きっと。媒体も中川勝彦みたいな人を見たことがなくて、どうしていいかわからないから、当時は面白い記事ばっかりある。高田馬場に立たされちゃったり、下駄履いてみたいな、学校時代の話をさせられたりとか、そういうインタビューがめちゃくちゃ多いんですよね。

北村:でね、僕は男性なんで、当時周りに中川勝彦の話なんかできる人いないわけですよ。

あやの:本当そうだよね、男性で中川勝彦のファンってなかなかね、当時。

北村:あとね、今もそうだけど、ピンとこない言葉で、グラムロックの中川勝彦っていう表現をよく見つけるんです。『してみたい』でグラムロックってどこだよ!? とかって僕は思っちゃうんだけど。

あやの:そのグラムロックって、ビジュアル的なところだと思う。

北村:そうなのかな。ただ、『してみたい』ではちょっとデヴィッド・シルヴィアンっぽく歌っているところがあるから、JAPANの初期みたいなことで言っているのかな!? みたいな感じはあるけど。

あやの:若干の香りはするんですよね。

北村:むしろデヴィッド・ボウイっぽいっていうところのグラムロックで言うと、完全にシングル「please,understand me」だと思う。あれはもう完全にヴィッド・ボウイ。

あやの:そうね。いや、「please,understand me」はかっこいいよね。

北村:この当時、日本でデヴィッド・ボウイっぽいことをやっていたのって土屋昌巳さんがそうなんだけど、ほぼ同時期にやっているという意味ではそれはなんかすごいというか。で、僕はリアルタイムという意味では『ペントハウスの夏』から入ったんですけど、そこから話しちゃうと訳がわかんなくなっちゃうので、デビュー作の『してみたい』から順々に話していくことにしましょう。

あやの:はい。

北村:なので『してみたい』は後聴きなんだけど大好きなアルバムで…っていうかかっちゃんで嫌いなものはないっていうか、失敗作はないんです。

あやの:ですよね、本当ね。

北村:NECアベニュー時代は理解するのにちょっと大変かもしれないんですけれど、ワーナー時代は誰が聴いてもOKだと思う。で、『してみたい』は1984年リリースなんだけど、このアレンジ、サウンドプロデュースしているのはムーンライダーズ白井良明さんなんですね。今にして思えばそれで余計に好きになったんだけど、当時の良明さんってアレンジャーとして超売り出し中だったんです。ムーンライダーズですごくニューウェーヴィなギターを弾くっていうので注目された人なんです。松田聖子さんの「ガラスの林檎」だったり、小泉今日子さんの「優しい雨」なんかでの印象的なギターサウンドが良明さんによるもので、同時にクイーンのブライアン・メイみたいに弾けるギタリストでもあったという。

北村:1982年だったかな? 沢田研二さんのアルバム『MIS CAST』のアレンジですごく注目されるようになって。良明さんの1984年の代表的な仕事がかっちゃんの『してみたい』、あともう一つが松尾清憲さんの「いとしのロージー」って曲が当時ちょっとヒットしたんだけど、それが入っている『SIDE EFFECTS〜恋の副作用』ってアルバム。

あやの:うん。

北村:この2作を良明さんがものすごく気合い入れてやったんですよ。そのおかげというか、同時期に本家ムーンライダーズが『アマチュアアカデミー』ってアルバムを作っていて、そっちも本来は良明さんが全曲アレンジするはずだったんだけど、本家の方は無理で半分くらいしかアレンジできなかったっていう逸話が残っていて。

あやの:本体を犠牲にしてもやってる(笑)。

北村:『してみたい』で叩いているドラマーの橿渕哲郎さんってムーンライダーズだから。

あやの:結構そこら辺の色が…。

北村:そうそうそう。だからムーンライダーズの『アマチュアアカデミー』ってアルバムを聴くと、『してみたい』と同じようなサウンドが聴ける。

あやの:いいですね!そういう聴き方も楽しいですよね。そういう知識を得るとね。

北村:でね、ムーンライダーズとか、かっちゃんファンで聴いている人って結構いなかったりするから、「真夜中のミステリー」だけなんでちょっと歌いかたが変なんだろう?とか思ったりするじゃない?

あやの:確かに。

北村:「真夜中のミステリー」はね、ムーンライダーズの橿渕哲郎さんが作った曲なんですよ。で、かっちゃんって基本的に楽曲提供者が例えばデモで歌った仮歌があったとしたら、基本的にそのニュアンスの通りに歌おうとする人なんだと思うんだよね。

あやの:なるほど。

北村:真夜中のミステリー」は橿渕さんの歌い方に似ているの。橿渕さんのソロアルバムとか聴いている人にはそれがわかる。

あやの:それは面白い聴き方ですね。やっぱりそういうのが音楽の楽しさですよ。

北村:でね、そういう風にかっちゃんを語る人がいないの。

あやの:当時の記事を探してもなかなかないと思います。読んでいたけど、自分の記憶の中ではない。そんなことを言ってる人はいないと思う。

『DOUBLE FEATURE』につづく

中川勝彦『してみたい』(1984年)

元々バンドマンだったが、引き抜かれる形でソロデビューした中川勝彦。おそらく当時のスタッフは沢田研二を意識していたと思われ、ジュリーのアレンジで名を上げたムーンライダーズの白井良明を音楽的ブレーンで起用、白井良明は『ペントハウスの夏』までを支えた。「夜風からビーチ・ムーン」から中川勝彦の甘い歌声をフィーチャーした、ニューウェーヴィかつ無国籍、洗練されたサウンドが繰り広げられる。やはりムーンライダーズのかしぶち哲郎のほか、原田真二、NOBODY、銀色夏生らを作家で起用。さらにタイトル曲「してみたい」は林哲司ならではのキャッチーなキラーチューン。GSテイスト「STARDUST」、ジャジームード「真夜中のミステリー」など多岐にわたる楽曲が楽しい。ラストに収められたバラード「雨の動物園」は不朽の名曲と名高い。なおボーナストラックで収録された2ndシングルがザ・タイガースのカヴァー「花の首飾り」だったことからもジュリーへの意識が感じ取れる。(北村和孝)

 

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