中川勝彦 ワーナー時代TALK REVUE してみたい (2)

1984年2月22日、シングル、そしてアルバム『してみたい』による衝撃的なデビューから40年! 遂に中川勝彦ワーナー期全音源がワーナーミュージック・ジャパンにより、各ストリーミングサイトでサブスクリプション解禁された。
とにかく名曲だらけのワーナー期だが、今振り返れば生き急いでいるかのように音楽性を高めていったかっちゃんを感じる。ここで採り上げる2ndアルバム『DOUBLE FEATURE』は『してみたい』からわずか7ヶ月でリリースされたのだ。
それでいてコンポーザー中川勝彦のデビュー作でもあり、加藤和彦佐久間正英も参加するなど、よりロック度を極めていった一枚と言える。

バディットマガジンでは今回のサブスク解禁を祝して、共にかっちゃんフォロワーを自認する村上あやの北村和孝による対談により、ワーナー期中川勝彦の音楽性について紐解いていく。第二回をどうぞご堪能あれ!
(『してみたい』について語った第一回はこちらへ)

中川勝彦
2ndアルバム『DOUBLE FEATURE』(1984年)
コンポーザー中川勝彦デビュー

北村:ある種かっちゃんらしいとも言えるアルバムが『DOUBLE FEATURE』ですね。今度は加藤和彦さんが参加するという。

あやの:そうそう、そうですね

北村:『DOUBLE FEATURE』も僕はさかのぼって聴いたアルバムなんだけれど、例えば「メロメロメロウ」曲名変だな、なんだろう!?って思うわけ。
で、これもなんか変わった歌い方をしているなとか思うかもしれないけれど、実は加藤和彦さんの歌い方がまさにあんな感じなの。

あやの:あぁ、そっちに寄せているんですね。それであの歌い方…。

北村:しかも加藤さんの奥方だった作詞家の安井かづみさんが“君の好きなパーフューム ガーディニア”ってフレーズを書いているけれど、加藤和彦さんは過去に『ガーディニア』ってソロアルバムも出してるんです。
ま、安井かづみさんも加藤和彦さんも亡くなってしまっているけれど、当時この夫婦が見事なソングライターチームで数々のヒット曲を生んでいて、レコード会社のスタッフは何とかしてこの二人に曲を書かせようとしていた訳で、80年代ってそういう時代なんですよね。

あやの:かっちゃんの音楽ってその辺の時代背景なり知識を得ながら聴くと、もっと楽しい聴き方ができそうですね。

北村:さらにこの加藤和彦って方を掘り下げると、日本初のグラムロックの人とも言える人なんです。この5月に、『トノバン』っていう加藤和彦のドキュメンタリー映画が公開されるんですけど、先日試写会に行ったら凄く面白かったんだよね。ぜひかっちゃんファンにもご覧になってほしいんですけど。

80年代初頭までの加藤和彦の半生を描いた映画『トノバン』、2024年5月公開予定です

北村:ま、もっとも一説では美輪明宏さんがひょっとしたら日本人グラムロックの第一号じゃないかっていうのもあるし、いやいや、ジュリーじゃないかっていう説もある。

あやの:でもやっぱりそっち側なんですね。

北村:ただ、なぜ加藤和彦がグラムロック第一号かと言われるかというと、この人はサディスティック・ミカ・バンドってバンドで70年代、いち早くイギリスに行ってライブやった人で、それこそロキシー・ミュージックとツアー回ったりとか画期的だったんです。派手でおしゃれだったし(笑)。
その後ソロになって、デヴィッド・ボウイ同様にベルリンのハンザっていうスタジオでレコーディングしたりとか。ハンザでのレコーディングは土屋昌巳さんの一風堂の方が早かったんだけど。
ま、なんにせよそっちの音楽性を徹底追求した先駆者が加藤さん。でもって、その感じがもろに現れているのがさっきも挙げた3rdシングルの「Please,Understand me」

あやの:もう本当にね、この曲は…ちょっとすごいんですよ(笑)。

北村:なんかこのリバーブ感とかね、もうハンザの響きを絶対に意識してやってる。

あやの:そうなんだ。私はこれを聴いたときは本当にびっくりした!

北村:あの印象的なアコギの音も加藤和彦さんが自ら弾いている音だしね。エレクトリックギターは大村憲司さんですが。

あやの:そうそうたるメンバーがかっちゃんの作品には参加してるじゃないですか! それこそ「白く 光る」の作詞で銀色夏生さんだったりするっていうのが面白いじゃない?

北村:うん。

あやの:それこそ当時、TM_NETWORKの小室哲哉さんがおっしゃっていたけど、自分たちにも歌詞を書いてくれって銀色さんにお願いしたら断られたって。

北村:そうして小室みつ子が生まれた(笑)?

あやの:それはわからないけど(笑)。かっちゃんファンにも、銀色夏生さんのファンの方たちがいらっしゃると思うけど、新人の頃から自分のイメージした人にしか歌詞を提供しないというか、自分との相性はすごくはっきりされている方だったから。

北村:うん。1984年だからすでに大沢誉志幸さんもソロデビューしているし、銀色さんは大沢さんには書いていた。

あやの:そうですね、書いてます。銀色さんもまだ作詞家としては駆け出しの頃じゃないかな
(※1982年に作詞家としての活動を開始、翌年に沢田研二の「晴れのちBLUE BOY」を手掛ける。この作曲が大沢誉志幸、さらにアレンジは大村雅朗で、この布陣により大沢誉志幸のソロアルバムが1983年に制作される)
銀色さんにはかっちゃんに多分、何かビビッと来るものがあったんだと思うんですよ。それは何となくわかるでしょう? 銀色さんとかっちゃんの世界観。

北村:そうですよね。『DOUBLE FEATURE』までは、白井良明さんを筆頭にまだムーンライダーズ色が強くて。ドラムではかしぶち哲郎さん、ベースで鈴木博文さん、そしてキーボードで岡田徹さんが参加している,半分ムーンライダーズっていう。
でもって最先端のギタープレイができる人ってところで良明さんが重宝されていた。きっかけはさっきも言ったけど沢田研二さんを意識していたんだろうっていう。

あやの:そっちの路線にスタッフさんたちは持って行こうって?

北村:多分そう。でね、さっき言った松尾清憲さんの『恋の副作用〜SIDE EFFECTS』も良明さんはアレンジ、プロデュースを手がけているんだけど、「愛しのロージー」というデビューシングルがスマッシュヒットしたんです。この曲の売りは超ブライアン・メイ的な重厚なギターサウンドでクイーン・サウンド。

あやの:あ、そっち。

北村:松尾清憲さんでクイーン的なアプローチをやったせいか、かっちゃんの方ではクイーンっぽいことはやってない。もっとニューウェーヴィなことをやってる。

あやの:なるほど…。

北村:松尾さんはもうちょい懐かしいアメリカン、ブリティッシュな感じとかビーチボーイズ方面とか、ポップスマニアックの方へ行くんだけど、かっちゃんの場合はもっとロックテイストなんですよ。で、『DOUBLE FEATURE』には「Rainy Birthday」って曲が入っているんですけど、この作曲が松尾さんなんです。
でもって、かっちゃんはやっぱり特徴的な歌い方をしているわけなのですが、僕のような松尾ファンには松尾清憲さんを意識して歌っているんだっていうのがわかる(笑)。

あやの:なるほど(笑)。

北村:さらにそのムーンライダーズマニアにしか通じないマニアックなことを言うと、加藤和彦さんがライダースメンバーをレコーディングで使うっていうのはよくあったんです。
「please,understand me」でも気心知れているムーンライダーズのメンバーを使ったってことなんだろうけど、逆に言うとギタリストはあえて大村憲司さんを使ってる。
だからこの曲などで白井良明さんが参加してない。逆に「Rainy Birthday」だったり、「僕たちのマンネリズム」とか良明さんがアレンジしている曲は、もうこれ完全に自分の打ち込み主体でほぼ一人でやるようになっちゃってて。
で、それはムーンライダーズの『ANIMAL INDEX』ってアルバムを聴くと全く同じ音がしています。

あやの:そうなんですね。

北村:だからその当時のライダーズサウンドというか、ムーンライダーズで極めていた音がプロデュースワークでも活かされるっていう、そうそうことになってる。あるいはその逆かもしれないけど(笑)。

あやの:作家さんたちもかっちゃんにこういうものを与えたっていうことは、この人に何かしら感じるものがあったからだと思うんです。

北村:それとやっぱり何か新しいことをやりたかったんだと思う。なおかつ『DOUBLE FEATURE』から、かっちゃんは自分でも作曲するようになっていくので。

あやの:そうですよね。

北村:それでアレンジャーの誰と組ますかっていうので面白いのは、オメガトライブ系のアレンジを手がけていた新川博さんだったり、しかも佐久間正英さんが参加しているという。

あやの:そうそう、そうなんですよ、『DOUBLE FEATURE』には佐久間さんが入ってるんですよね。これ、何故なんだろう?

北村:佐久間さんのプロデューサー、アレンジャーとしてのブレイクって意味ではやっぱりBOØWYの成功が大きいかな。すごく当時話題になってたから引っ張ってきたんじゃないかな。
BOØWYもハンザスタジオでレコーディングしているんだよね。それをプロデュースしたのが佐久間さんだった。

あやの:やっぱり佐久間さんって聞いて一番最初に思いつくのはBOØWYですもんね。

北村:でも逆に言うとBOØWYで成功するまでは、アレンジやプロデュース仕事はやっていたけど、まだ世の中的にプロデューサー的なイメージは全くなかったと思う。…っていうのはもっと後で知るんだけどね。

あやの:ほら、当時私はまだ中学生とかだから。そんなことを知りもしないで聴いている状態じゃないですか。というか誰も教えてくれないじゃない?当時は音楽雑誌すらそんなことを教えてくれてないわけだから(笑)。だからかっちゃんの扱いがすごく不思議でしたよね。

北村:『してみたい』のLPレコードを持っている人はさ、顔ドアップのデザインにびっくりするんだけど、『DOUBLE FEATURE』アウターがはだけて肌を見せているかっちゃんがかっこよくてさ。

あやの:ジャケ買いってやつですか(笑)。

北村:その次の『ペントハウスの夏』はそれまでとはちょっと違うリアルなムードになってさ。ただ、この当時かっちゃんくらいの髪の長い人ってそんなにいなかったよね? だってキムタクみたいなヘアスタイルの人はいなかったじゃん?
もっと昔だったらね、西城秀樹さんとかの御三家とかさ、もう肩にかかるぐらいの髪でやってた頃もあるけど、この当時いないよね。むしろニューウェイヴブームで短くしていた時代だからYMOがうるさい(笑)。

あやの:そうかそうか、短髪ですよね。

北村:だから『ペントハウスの夏』から入っている僕はそこに違和感があった。“これは僕が聴くべき音楽なのだろうか!?”ってジャッジのところで引っかかったっていうのはそういうところですね。

あやの:北村さん的に『ペントハウスの夏』のジャケットを見てどうでしたか? 水の中に浸かっちゃってる、ちょっと水も滴る良い男みたいな感じですけど。

北村:うん。普通、男の子は聴かないよ、このジャケットでは(笑)。

『ペントハウスの夏』につづく

中川勝彦『DOUBLE FEATURE』(1984年)

『してみたい』からわずか7ヶ月でリリースされた2ndアルバムは、前作に続き白井良明のほか、加藤和彦、新川博、佐久間正英をアレンジャーに迎えて、よりロック度が増した仕上がりに。
冒頭「僕たちのマンネリズム」から当時のムーンライダーズテイストとも言える、白井良明作曲、アレンジによる作風がたまらない。タンバリンの使い方が面白いのである。
そして白井良明の縁で楽曲提供したであろう松尾清憲による「Rainy Birthday」、安井かづみ&加藤和彦夫妻による「メロメロメロウ」や不朽の名曲「Please,Understand Me」など楽曲の完成度は極めて高い。
そして伊藤広規のスラップベースと青山純のリズム隊がパワフルな「サ・エ・ラ」、ポリスの「見つめていたい」のオマージュたっぷり「TVの恋人」、佐久間正英のシンセベースとそうる透のドラムによるニューウェーヴ感がたまらない「ミステイク」など半数の曲を中川勝彦自身が作曲しているのもポイント。
なんともせつない関係性をロマンティックに歌い上げる「白く 光る」は銀色夏生の作詞。
現FENCE OF DEFENSE 北島健二のギターをフィーチャーした「週末物語」も名曲バラードと名高く、メロディメイカー中川勝彦の魅力を印象付けた。
しかし、強烈なインパクトを放ったのはシングルにもなった「Please,Understand Me」だろう。
加藤和彦が手がけたデヴィッド・ボウイ・テイスト満載のアプローチで中川勝彦にグラムロックという印象が強い方がいらっしゃるなら、この曲のインパクトにやられてしまったのでは!?

 

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