新しいGinza Sony Parkがグランドオープン、第一弾プログラム『Sony Park展 2025』が開催中

ソニービル』の
建て替えプロジェクトとして
進められてきた
Ginza Sony Parkプロジェクト』。

2018年8月〜2021年9月、
地上に建物が無い状態で
地下に「銀座の公園」を作るという
驚きのプロセスを経て、
ついに2025年1月26日、
Ginza Sony Park』が
グランドオープンを迎えた。

記念すべき第一弾のプログラムは、
Sony Park展 2025』。
ソニーグループの6事業をテーマに
個性豊かな6組のアーティストと共に創る
クリエイティブな体験型プログラムとなる。

バディットマガジン』では今回も、
現地にて取材を行いました。

・ソニー企業株式会社 代表取締役社長、永野大輔氏によるプレゼンテーション(1ページ目)
・『Sony Park展 2025』などのアクティビティレポート(2ページ目)
・Ginza Sony Park概要、永野大輔氏への単独取材(3ページ目)

と盛りだくさんな内容をお届けします!

永野大輔氏 プレゼンテーション

永野大輔
ソニー企業株式会社 代表取締役社長 兼 チーフブランディングオフィサー
Ginza Sony Park Project 主宰

皆さんこんにちは。ソニー企業株式会社の永野と申します。本日は1月26日にグランドオープンを迎えます、Ginza Sony Parkにお越しいただき、ありがとうございます。

この場所には元々ソニービルがありました。ソニービルは1966年に建てられたビルですが、この地にソニーが新しい建物を建てるのはソニービル以来2度目、59年ぶりです。
ソニービルは創業者の1人である盛田昭夫さんが建てられたビルですが、それを引き継ぐのは私でいいのかと自分でも思ってしまうんですが、 新しいビルを提示するに至りました。

このGinza Sony Parkプロジェクトは、実は今から12年前の2013年にスタートしました。
ソニービルを建て替えるプロジェクトで、最初から公園を作るというプロジェクトではありませんでした。
途中で、よりソニーらしくユニークな建て替えをしよう、ユニークなものを作ろうと舵を切り、 解体途中で1度フラットな公園にし、その後立体型の公園にしよう、というプロジェクトに変化をしました。
私は2013年、当時の平井一夫社長の下で始まったプロジェクトでリーダーを務めさせていただいて、今に至るわけですが、12年で本当に色々なことがありました。

今日は僕から1つだけ、 皆さんにお持ち帰りいただきたい大事なメッセージをお伝えします。
それは、このGinza Sony Parkをこれからどうしていきたいかという、未来に向けた話です。
それがこちらに書いてあります、「銀座の庭 , Ginza Sony Park」という1行になりました。
これはどういうことかとご説明しますと、まずGinza Sony Parkとはなんぞや、という話ですが、その名の通り銀座にソニーが作ったパーク、公園なんですね。
では“銀座の庭”って何?という話なんですが、“銀座の庭”というのは、 このGinza Sony Parkを訪れた人が自分の庭のように使ってほしい、いわゆるプライベートな空間として使ってほしい、パーソナルユースに使ってほしいという思いを込めています。
よく自分が詳しい町であったり、その土地のことを「ここ俺の庭なんだよな」とか、 「ここ私の庭なんだよ」って言うことがあると思うんですね。その庭です。
スペースとしての庭というよりも、心情としての庭ですね。心の中で「ここ私の庭」、「ここ俺の庭」というような。
例えば、「駒沢公園って私の庭なんだよね。毎朝犬の散歩して、たまにジョギングしたり」。また、ニューヨークに昔住んでた方には、「ブルックリンは俺の庭なんだ。昔からあそこでよく遊んでてさ」というように。
それって心情的なものなんですよね。パーソナルなものが紐づいているので。

Ginza Sony Parkというのは銀座にソニーが作った公園で、パブリックを意識した場所ではあるんですが、ここに訪れた人には、プライベートな空間を作って欲しい、パーソナルユースでこの場所を使って欲しいというのが、このメッセージに込められています。
なぜ今日これを皆さんに伝えたいかというと、Phase 1と呼ばれている、2018年から2021年までの3年間、フラットな状態で公園を作った時に、色々学びがあったからです。
2013年からプロジェクトを進めている中で、パブリックスペースとはなんぞや?ということを研究しました。その中で1つご紹介したい話があります。
建築家の槇文彦さん。代官山ヒルサイドテラスなどを設計された方ですね。槇さんの対談記事を読んだことがあり、その中に「パブリックスペースとは、プライベートスペースの集合体である」ということが書かれていたんです。
2013年にプロジェクトが始まって、その記事を読んだのが2014年か2015年頃。まだPhase 1のGinza Sony Parkができる前の話なんですが、 全く理解できなかったんですよ。
これは何を言っているんだろう?パブリックスペースがプライベートスペースの集合体?よくわからなかったんです。
それで、実際にPhase 1で2018年からGinza Sony Parkを運営したら、ちょっとわかった気がしたんです。
それは何かというと、毎日同じ場所、同じ時間でコーヒーを飲んでる方がいたり、時には平日の夕方にランドセルを背負った小学生の女の子がテーブルの上にノートを広げて宿題をして、しばらくしたらそこにお母さんが迎えに来て、会話をしてまたメトロに戻っていく。
いわゆる待ち合わせをしてるんですよ、そこで。多分その家族の方は、銀座の中でセーフティー、安心な場所である、しかも無料であるということで、このGinza Sony Parkの場所を、自分たち家族のパーソナルなプライベート空間として使っていたと思うんです。
それを見た時に、槇文彦さんが言っていた話ってこういうことなのかと、ちょっとわかった気がしたんです。
なので、今回このような新しいGinza Sony Parkを作った時にも同様に、街に開かれたパブリックな空間ではあるんですが、使う人にとってはプライベートな空間を大事にできるような、パーソナルユースな空間にしたいと考えています。
自分の庭のように使ってほしい、という話をするのは、実は今回が初めてです。なぜならこれは未来の話だからです。今日僕が1番伝えたいのは、このメッセージです。

街に開いた公園。普通のビルじゃなくてなんでこういう場所を作ったのか。その理由は、ソニーだからです。
もしこの場所をソニーが持っていなかったら、もっと違う形になっていたと僕は思っています。
ソニーという会社は、人がやらないことをやるとてもユニークな会社だと思っています。
12年間このプロジェクトを進めてきましたが、実はその間に社長は3人変わってるんです。
ソニーの社長が平井さんから吉田さん、十時さんに変わっていて、3世代にわたってこのユニークなプロジェクトにゴーサインを出してくれたのは、やっぱりソニーの懐の深さだと思うんです。
また、僕を支えてくれた同じ志を持った仲間たちがいるということです。それだけ社員もみんなユニークであるということ。ソニーは昔からユニークだったわけです。

これは1979年に出た1号機のウォークマンです。ご存じのように、ウォークマンが出る前の音楽の聴き方は、家の中でステレオで聴くというものでした。
それを外に持ち出して、個人で音楽を楽しむという、音楽の聴き方、体験をまるで変化させてしまったわけです。
次にPlayStation。PlayStationが出る前のゲーム機はある種、子供が使うおもちゃのような存在でした。
それをPlayStationが出たことにより、コンピューターのようなハイスペックなマシンにしたわけです。
それで、大人も楽しめるようになった。トイからマシンへ、格段に文化を変えてしまった。
それからAIBO。AIBOが出る前は、ロボットは人間を助けるという関係性でした。
AIBOは逆で、人間がロボットを可愛がるというように、完全にベクトルが逆になってるんです。
このようにソニーが出したエポックメイキングな商品が、同時にソニーのブランドを形成してきました。

私は12年間プロジェクトを進める中で、やはりソニーという会社のブランドをすごく意識して、この3つの商品に並ぶようなエポックメイキングな場にしたいと思い、Ginza Sony Parkを作ってきました。
この3つの商品によってソニーのブランド価値が上がった。ですが、最近の若い人たちには、ソニーはユニークである、革新的であるということがあまり知られていない。
そんな中で、Ginza Sony Parkは次の世代に向けたブランドを作りたいという意味で、少しおこがましい感じはありますが、 未来に向けてGinza Sony Parkが3つの商品に並ぶような存在になるよう、運営していきたいと思っています。
人がやらないユニークなアプローチで新しい感動と文化を生む。僕はこれがソニーの素晴らしいところだと思っています。
ウォークマン、PlayStation、AIBO、Ginza Sony Parkと共通して、人がやらないユニークなアプローチで新しい感動と文化を生むという存在であり、新しいブランドを作っていきたいという、未来の話として今日はお話をさせていただきました。

 

質疑応答

・今回のGinza Sony Parkにはショールーム機能はあるか?

今回のGinza Sony Parkにはショールーム機能はありません。ソニーのショールームストアは、現在銀座4丁目の交差点にある「ソニーストア 銀座」がそのまま継続します。
この話の延長で言うと、このGinza Sony Parkにはテナント、お店は一切入りません。
アクティビティが時々に変わっていき、空間を埋めます。

また大事なことですが、全ての空間をアクティビティで埋めることもしません。なぜなら、公園だからです。
余白とアクティビティの掛け合わせでGinza Sony Parkは作られています。余白がとても大事で、余白があるからこそ庭になれると思っています。
銀座にお買い物や食事に来て、ちょっと疲れたけど休憩する場所がない、といった時にGinza Sony Parkに来れば必ず座れる、待ち合わせの場所にも適している。
それは余白があるからできると思っているので、アクティビティで全てを埋めることはしません。
イメージとしては、4割ぐらい余白、6割ぐらいがアクティビティの稼働率で、この場所を運営できたらなと思います。

・最近の若い人たちには、ソニーはユニークである、革新的であるということがあまり知られていないと仰っていたが、具体的にどう時代にフィットするような方向にしていくか?

先ほどの話はブランドの話なんです。ウォークマン、PlayStation、AIBOのエポックメイキングな商品は、ソニーのブランドにとても貢献しましたが、その商品を使っていた方たちの年齢層が上がってきている。
そして10代、20代の方たちがソニーというブランドをどう見ているかというと、なかなか昔のようなイメージを持たれない方が多くなっている。
私たちは12年前からGinza Sony Parkプロジェクトを進める中で、ブランド観点から言うと、10年先のソニーファンを作りたいという表現をしてきました。

具体的には、アンダー30(30歳未満)の方々にたくさん来ていただけるような場所、アクティビティを作っていくことを目標にしていました。 Phase 1の時には約4割〜5割ぐらい、アンダー30の方に来ていただくことができました。
その方たちにアンケートを取ってみると、自分ではソニー製品を持っていない、家にソニー製品はない、要は“マイファーストソニー”がGinza Sony Parkということなんですね。
昔はマイファーストソニーが、ウォークマン、PlayStation、AIBOだった方もいると思うんです。
今の時代、マイファーストソニーがGinza Sony Parkであってもいいんじゃないか、そうしたいなと思い、主にアンダー30の方たちに来ていただけるような場所のアクティビティ作りをしてきました。


・今後どんなアクティビティが展開される予定か?

アクティビティは多岐にわたると思っています。まず、年間の回数は決まっていません。
この『Sony Park展 2025』のように2〜3ヶ月タームで行うアクティビティもあれば、週末1日だけ、1週間だけというものもあるかと思います。
例えば週末1日だけというのは、地上の吹き抜けの空間に大きなオープンスペースがあるんですが、そこでファーマーズマーケットを行う、屋上の部分でパーティーのようなイベントを行うなど、様々な使い方ができると思っていますので、年間の回数については今は想定していないです。
『Sony Park展 2025』のようなソニーグループが主導するイベントは年に数回だと思います。
その他に我々が事業会社と呼んでいる、ソニーミュージック、ソニーピクチャーズ、半導体、金融などの各事業会社が行うアクティビティもプラスされてる可能性はあります。

それからソニー以外の他社さんにお使いいただくケースもあると思います。
あとは、銀座のパブリックなイベントや、色々なイベントの主催者がいて、このGinza Sony Parkは形成されていくと考えています。幅が広いですよね。
ソニーグループから他社さんまでという幅の中で、グラデーションがついていくアクティビティになっていくかなと思います。
実際に色々な会社さんや団体さんから、この場所を使わせて欲しい、ここをどう使ったらいいか、というお問い合わせを8月の竣工以降、たくさんいただいています。
その中で、この場所をうまく使っていただける方と次の企画を考えている状況です。


・ショールームも無く、全くソニー色が出てこない場所をあえてソニーがやるのは、表面的にソニーを植え付けるというよりも、もっと優しい形でソニーの存在感のようなものを知ってもらう意図があるのか?

なぜGinza Sony Parkのような場所を作ったかと言うと、その前にソニービルの存在の話をしなければいけません。
ソニービルができたのは1966年で、当時のソニーにはエレクトロニクス事業しかなかったんです。今のように音楽事業、ゲーム事業、映画事業、金融事業も無い状況です。
その時のブランド発信場所、エレクトロニクスのショールームとソニーはイコールだったんです。いわゆる単体の機能で存在理由があったわけです。
1966年以降、音楽事業、映画事業、ゲーム事業、金融事業、半導体事業と、事業が増えていった時に、ソニービルではこれらの事業のブランディングをするのが難しくなりました。
難しくなったのは何かと言うと、例えば映画事業をやって、映画館を作りたくても作れないんです。スペース的に。音楽事業でここにライブハウスを作りたくても、やはりスペース的に作れないんです。そこに事業とハードウェア、建物のアンマッチが起こりました。

このプロジェクトを始めた2013年の前、記憶にある方もいらっしゃると思いますが、ソニーは非常に経営状況が悪くなりました。
その時、ソニービルは世の中から、「変われないソニーの象徴」というレッテルを貼られていました。
つまり、事業が多面的になっているのに、そこにはエレクトニクスのショールームだけがあるというように、なかなか時代にフィットしていないものとして捉えられてしまっていた。
今回Ginza Sony Parkプロジェクトを進めるにあたってのスタートポイントは正直そこにあります。
ソニーのブランド発信拠点として、事業が多角化していった時に、単一機能のハードウェアでは対応しきれない。

表現が正しいかどうかはわからないですが、例えばソニービルはいわゆる昔の携帯電話。Ginza Sony Parkはスマートフォンのようなイメージです。Ginza Sony Parkはプラットフォームなんです。
そこに今は6つの事業それぞれ、エレクトロニクスだったらショールーム機能、ゲーム事業だったらゲームセンター、映画事業だったら映画館、というようにプラットフォームの上だったらフレキシブルに作ることができるんです。要は、ソニーの事業に合わせた場を作るということが根っこにあります。
なので、今この瞬間はソニーのショールームのストアもありませんが、スマートフォンで言うところのアプリケーションの1つ、もしくはイベントで言うところのプログラムの1つとして、それを持ってくることは、今後十分考えられると思います。
プラットフォームがあれば、色々なものを受け入れて、色々なものを受け流していくことができる。なぜなら、事業は変わるからです。
今は6事業かもしれないけど、将来的にはもっと増えるかもしれない。もっと多様になるかもしれないと考えたら、その時にフィットできるようなプラットフォームにしておく。

そこで、プラットフォームはパークでも、その上にやっているものが他社の時、ブランド価値はどうなるの?という話なんですが、実は2018〜2021年のPhase 1で実証実験をやってきました。
2018年にGinza Sony Parkがオープンした最初の1年間、実はソニーの商品、コンテンツ、サービスは一切出していません。
公園的なものってなんだろう?パブリックなイベントってどんなものだろう?ということを手探りでやってきて、毎回お客さまからアンケートを取りました。
ソニーの製品、サービス、コンテンツは一切無い状態でアンケートを取ってみて、“この場所をどう思いますか?”と聞くと、各プログラム共通して「ソニーらしい」という回答が出るんです。
それはなぜか。 銀座の一等地で、通常は高いビルを建てる場所をあえて公園にするという、人がやらないことをやるというのが根っこにあるからです。
他社さんでも、どんなプログラムをやっても、根っこにソニーらしさがあるので、“この場所をどう思いますか?”という問いに対しては「ソニーらしい」という回答が出るんです。
なので、このビルをショールームではなくて、アクティビティを回転させていく公園にしても、きちんとソニーのブランドは保てるどころか、より良くなっていくだろうと考えて、我々は自信を持ってこのような決断をしています。


1ページ目:永野大輔氏 プレゼンテーション、質疑応答
2ページ目:『Sony Park展 2025』などアクティビティレポート
3ページ目:Ginza Sony Park、永野大輔氏インタビュー

タイトルとURLをコピーしました