“ツアーマネージャーは誰なの?
TACKにしてくれ”
エリック・クラプトンや
カルロス・サンタナらから絶大な信頼を得、
さらにはノラ・ジョーンズ、
マルーン5、ジョン・メイヤー
を日本に招聘するなど、
日本における洋楽の歴史を
作り上げてきたと言っても過言ではない
ウドー音楽事務所の
伝説のツアーマネージャー、
高橋辰雄氏。
なんと今回、『バディットマガジン』にて、
高橋氏へのインタビューが実現しました!
メインの内容はこの記事、
『バディットマガジンウェブばん!』
にて掲載。
ここでは書き切れない、
より深掘った内容も含めた
インタビュー全文+
貴重な楽器写真の全て(サンタナから譲り受けたギターも?!)
は後日、
有料サブスク電子マガジンである
『バディットマガジン電子ばん!』
にてお届け予定です!
とはいえ、この
『バディットマガジンウェブばん!』、
だけでも濃すぎる内容です…!
それでは早速インタビューをご覧ください!
洋楽のすごい人たちは、カバーをしても自分のものにするし、さも自分が作ったようにしてしまう。
自分の信念において音楽をやっていました。
クラプトンは、どこに行ったって自分の戻ってくるブルースがある。
途中からドラムアンドベースやジャズとかに行ったとしても、絶対ブルースに戻ってくるんです。
高橋辰雄氏 インタビュー
素朴な質問になりますが、
ウドー音楽事務所は
どういったことをされていますか?
ウドー音楽事務所は、コンサートの企画、 制作、運営やエンターテインメントに関することが主な業務で、以前は音楽出やかDVDの制作、発売もしていました。
ワールドワイドで活躍してる洋楽アーティストを日本に招聘し、コンサートの企画宣伝、チケットの発売をトータル的にやっています。

設立は1967年で、僕が入ったのは1974年の秋。1番最初に現場のサポートをやったのがエリック・クラプトンで、アシスタントツアーマネージャーで入ったのかな?
最初はウドーではなく、本多芸能で1972年のレッドツェッペリンの武道館公演のアルバイトで警備をやり、その時にウドー音楽事務所の人を紹介してもらい、そこから1974年に社員ということでウドーに入って、現在に至ります。
ツアマネは誰なの?TACKにしてくれ
元々音楽が好きでしたが、自分でこれから何をしたいかは全然見えていない時期で、プロモーターの仕事、音楽やコンサートの制作は面白そうだなと思いました。
最初はアシスタントマネージャー、次はステージマネージャーをやり、その次はツアーマネージャーを10年ぐらい前までずっとやっていました。
ツアーマネージャーをやっていると、人間関係ができてくるので、アーティストが日本に来る時に、“ツアマネは誰なの?TACK(高橋氏のニックネーム)にしてくれ”とか、指名も来たりして。
これまで現場、会社の経営、あとはアーティスト招聘の企画とかをやっていました。
自分で企画して大きかったものは、新人アーティストの登竜門でワープドツアーっていうのがあって、アメリカで春頃から3ヶ月ぐらいかけて、約40バンドがアメリカの北を回るっていうものなんですが、新人ばっかりなんでチケット代もすごい安い。
もう30年くらい前から、若い人が好きそうなスケートや自転車も敷地内でやっていて。
それを見て日本でもやりたいなと、権利を持ってるケヴィン・ライマンと会って、“ウドーで日本でもワープドツアーをやりたいんだけど”って交渉したら、いいよって。
それで2daysだったかな?新木場スタジオコーストで1回、開催しました。
でも経費がすごいので、2回目はできないなと(笑)。
そのコンサートにも
40バンドぐらい出ましたか?
海外のバンドは8〜9バンドで、 日本のバンドが15〜16バンド、MTVステージとか、外に2つステージを作ったりしました。
僕はコンサートに通じるものがあればできることを何でもやろうということで、これまでノラ・ジョーンズ、マルーン5、ジョン・メイヤーの単独ライブなどを企画しました。
神のギターを買いに
あとは、クラプトンがオークションを開催して、そのお金をクロスロードセンター(エリック・クラプトンが開設した薬物中毒更生施設)の運営資金にすると聞き、ウドーで何ができるかを考え、オークションでギターを買おうということになりました。
当時のMr.ウドーファウンダーの許可を取り、2000万円の経費をもらい、ニューヨークのクリスティーズのオークションに行ってきました。
本当はブラウニー(「レイラ」でも使用されたサンバーストのストラトキャスター。
約6000万円で落札された!)1本を買おうと思って行ったんですが、2000万円じゃ買えなそうだなとわかって(笑)。
オークションにはエスティメイトっていう見積もりの本があるんですが、例えばエスティメイトに500ドルと書いてあるものは、当時は約60万円ぐらいなんですけど、それが見てるとどんどん上がって4倍の2万ドルぐらい楽にいっちゃうわけです。
ブラウニーのエスティメイトは、たしか4万ドルか5万ドルぐらいだったかな。
これはブラウニーは買えないなと思って、ストラトキャスターを1本、テレキャスターを1本、 GibsonのES-330Tにしました。
ストラトが1100万円くらい、テレキャスターが400万か500万円くらいで、そのテレキャスターは300台しか作ってなかったんです。
その中の1台で、“CUSTOM MADE FOR ERIC CLAPTON”って書いてあって、シリアルナンバーが“000”。
ES-330Tも400万円くらいだったかな、その3本を買って。
あとその前にウドーにクラプトンからブラッキージュニア(ブラッキーのサブギター)をもらっていました。
1980年くらいに、乃木坂に青山チケットエージェンシーっていう、ウドーのチケットエージェンシーを作ったんです。
その時に、部屋に飾りたいということで、クラプトン、ジェフ・ベック、リッチー・ブラックモア、サンタナなどのギタリストにお願いをして、エリックから届いたのが、そのブラッキージュニアでした。
ウドーに合計4本のギターがあったので、何かをしようと思い、クラプトンが好きな人を集めて、「Just One Night」(JUST ONE NIGHT エリック・クラプトントリビュートライブ)という、トリビュートライブをやりました。
実際にウドー所有のギターを持ってもらい、Charさん、柳ジョージさん、はたけさん(シャ乱Q)、春畑道哉さん(TUBE)、野村義男さん、寺田恵子さんらが出演するコンサートを企画しました。
僕の仕事は、ツアーマネージャーという業務もあったけれども、こういう企画も自身で考えてやっていました。
ボーカルが歌いやすいような演奏を
あと、地元でおやじバンドをやっていて、ベースをやる人がいなくて仕方なく始めました(笑)。
ネイザン・イーストや、ウィリー・ウィークスとかにその話をしたら、ネイザンはステージのサウンドチェックの時に、“TACK、こういうフレーズがいいよ”とか教えてくれたんだけど、難しくて(笑)。
めちゃくちゃ難しそうです(笑)。
そうそう(笑)。僕はまだ始めたばっかりだからさ。
彼らもギタリストと同じで自分のリフを持ってるんだなと。例えばAだったらこういう感じ、Cだったらこういう感じ、Gならこういう感じみたいな、そういう回すやつをね。
ウィリーと話した時は、“スティングのベースを習うのが1番おすすめ”と言っていました。スティングは基本のベースを弾いてるから、そういうのもいいね、みたいな話をして。
“ウィリー、あなたのベースは?”って聞いたら、“うん、俺のもいいけど、俺のはちょっと特殊だからな”って(笑)。
自分がベースを弾くというよりは、全体の音の中での調和を図るということをやってる。だから、ボーカリストが歌いやすい。
周りの音を聴きながら自分の音を作って、ボーカルが歌いやすいような演奏をしてあげる。
ドラマーでも、“俺を見てくれ”みたいな演奏をする人もいるけど、スティーヴ・ガッドみたいに歌いやすいドラムを叩いてくれる人も必要で、だからジェームス・テイラーは絶対的にスティーヴ・ガッドを離さない。
ウィリー・ウィークスはキャリアが長いけど、なぜ彼が指名されるかは、やっぱり歌いやすいっていうのがあるのかな。で、余分なことをしない。
ネイザン・イーストもそうだけど、基本的なベースを弾いて、余計なオカズをあまり入れないようにする。そして、絶対的な速さやタイミングをしっかり取る。だからキメがちゃんとできる。
やっぱりジャズをやってる人はキメができるのはあるけど、そういう一流の人に聞いても、“目立っちゃダメだよ、余分なことはあんまりね、ジャコ(パストリアス)じゃないんだから”って(笑)。
世界に1台しかないベース
高橋さんがお使いの
Gibson SGベースのお話も伺えたらと。
ボディが気に入ったから買ったんですよね。
あと、ペグは左右2対2になってるのがいい。
4連になってると腕が届かない(笑)。
SGベースはジャック・ブルースの
影響もありますか?
ジャック・ブルースの影響じゃなくて、SGの形が好きなんですよね(笑)。
ギターの方も。ちっちゃいから持ちやすい。
ただレスポールもそうですけど、ヘッドが重いじゃないですか。ギブソン系は。
ヘッドが落ちてきますね。
フェンダー系はヘッド落ちはあまり無いんだけど、長い(笑)。
SGベースはロスのミュージックセンターで買ったもので、当時はまだ1100ドルだったかな?
日本円で14〜15万円くらい。
買ってから3、4年経った時、日本でも同じような金額で売ってました。
今その値段じゃ買えないですよね。
そうなんですか?
多分もっと高いです。
多分モノがもう少ないんじゃないかな?買ったのは10年以上前だったかな。
SGベースを買った理由は、元々フェンダーのプレベも持ってたんだけど、ちょっとネックが太くて使いにくいので、もっと小さいのないかなって。
たまたまLAに行った時、楽器屋さんでSGベースが売ってて、前々からSGのスタイルが好きだったんだけど、実際に触ってみてこっちはなんか細いわと思って(笑)。
ただ、買って帰ってきて、アンプ直で使ってたんですが、なんかやっぱりプレベと比べると音が通らないというか、ボワンってこもっちゃう音で。
それがSGベースの特徴なんですけど、少し気になっていたので、フェンダーのリペアの人に頼んで、プレベのピックアップを付けてもらい、もとのピックアップは片方配線切ってもらったら、多少はアタック音が効くようになりました。
世界に1台しかないベースです。わざわざこんなことする人いないもんね(笑)。
この改造は初めて見ましたね(笑)。
ピックアップも3万4万するだろうし、リペア代もかかるだろうし…これは特別にやってもらったんです。
フェンダーがやってくれたのですか?
そうそう。
おぉ(笑)。
オークションで買ったギターも全部フェンダーでメンテナンスをやってもらってたので、リペアマンさんも知ってて、“頼むよ〜”って(笑)。
今はフェンダーは本社がやってるけど、原宿にあった元ショールームは山野楽器のものだったんです。
で、そこのリペアマンさんと知り合いになって、それで10年くらい前かな、地元の駅で降りたら、その人がいたんですよ。
へええ!!
“今ここに住んでるんです。”って。びっくりしました。まさかこんなところで会うとは思わなくて。
その人はまだ山野楽器のメンテナンスをやっていて、SGを改造してもらいました。
このSGベースは、
ツマミで音を混ぜられる仕様ですか?
そうです。どっちのピックアップが生きてるんだろう…
ピックアップは
フェンダーのものでしょうか?
フェンダーのですね。
ファイアーバードは世界で100台のものですよね?

そう。シリアル番号が99番のものです。
さらに、クラプトンがサインを書いてくれたのですか?
武道館公演に持って行って、書いてもらいました。
僕にとっての足跡
49年間この仕事をしてるけど、たくさんのことがありました。
でも1回1回、僕も書き留めてこなかったんですよね。
自分の日記として書こうかなと思ったこともあったけど、別に本を出すわけでもないし。
自分の足跡としてそういうのは大切だと思うんだけど、忙しくて書いてる暇はなかった。
1975年から1990年くらいまでの15年間は外タレラッシュでした。
だから、1つのツアーが終わるとすぐ次、1年中ずっとツアーをしてたので、家に帰るのは年間の半分ぐらいであとほとんどはホテル住まい。
そんなことがあったので、書き留める余裕がなかった。
いろんなことがあったけど、頭の中にしまっておくだけで、引き出せばいっぱいあると思うんです。過去を辿ればね。
そういう時に頼るのは、例えばこれはウドーの50周年記念で出版した本で、これで調べれば何年に何があったかが出てるんですけど、これは僕にとっては足跡。
これを見ながら、あの時はああだったな、とか思い出を探っていく。
ノラ・ジョーンズの思い出があって、ノラ・ジョーンズを東芝が呼んで、赤坂でライブをやったのを観に行って。
彼女の歌を聴いて、 絶対に売れると、すぐ挨拶に行って名刺を渡しました。
3ヶ月後くらいにエージェントから、ノラが日本に行きたいと言っていると連絡があって、交渉を始めて来日することになりました。
その時はまだ日本では全然売れてなくて、コンサートの会場も500人から2000人ぐらいで、興行的にはまあまあっていう感じでした。
2回目のツアーが決まった後にグラミー賞があり、8部門を受賞して、それから一気に武道館になっちゃいました。
だからすごく思い入れがあります。ノラが売れてすごく嬉しかった。
あと、マルーン5も、『Songs About Jane』を聴いて気に入って、ソニーの方が、“高橋さん、マルーン5いきましょうよ”、“いいよね、これ”って話になって、ソニーが化粧品のCMソングに使ってくれて、マルーン5を招聘できました。
1回目の時は2000人ぐらいだったけど、 2回目の時はすでにアメリカで売れて、それから大きい会場でやるようになりました。そういう思い出がいっぱいあります。
サンタナのチームに教わったこと
サンタナは最初、1975年に来日公演をやりました。
その時、サンタナのマネージャーから“サンフランシスコではこうやっているんだよ”、といろんなことを教えてもらいました。
それまでの日本のコンサートと違い、バックステージ でケータリングをやったり、衣装部屋、リハーサル部屋とか、部屋を分けていたり、そういうのは日本ではまだあまりありませんでした。
特にケータリング。日本はお弁当ばっかり(笑)。ケータリングっていって、食べ物を全部置いておいて、バイキング形式で食べられるようにする、飲み物とかもいっぱい用意しておく、みたいなことを色々教わり、バックステージの雰囲気を作りました。
1971年は、ほとんどのジャンルのロックバンドが来日し、日本の洋楽ロックの夜明けでした。
例えばハードロックだったら、ディープパープル、レッドツェッペリン、ブラスバンドではシカゴ、それからピンクフロイドが来たりとか。
71年にハードロック、プログレッシブ、ブラス、あとはテクノ系とかいろんなジャンルのアーティストが15、6バンド日本に来ています。
僕はそこが日本の洋楽ロックの夜明けだったと思っています。
それから72年にもまたツェッペリンが来て、73年の頃にはディープパープルの2回目の来日、ジェフ・ベックも来てるし、僕がウドーに入った74年にはクラプトンの初来日があって、洋楽のロックがアメリカからいっぱい来ました。
75年から90年ぐらいは、本当にどんどんアーティストが日本に来てたので、そこは忙しかったです。
でも、いろんないい思い出があって。
アメリカ人とイギリス人の違いも分かりましたし(笑)。
どんな違いがあるのですか?
アメリカ人は社交辞令がうまいです。最初は心に思ったことはそんなに出さないで、すごく社交的でいい人が多い。
イギリス人は結構本音で来ます。イギリス人と話していて用心しなくちゃいけないのは、うかつに何かを言った時にツッコんでくる。だから、いい加減なことを言えない。
あと、この人はなんでこんなことを言ったんだろう、と深く考えます。相手を知ろうとする意識がすごく強いんです。
アメリカ人はそこまで考えない(笑)。結構ノリで来るという感じで。
巡礼者
何かのインタビューで、
クラプトンは音楽でエネルギーを全部出すために、
普段はずっとエネルギーを内に貯めている
というものを見たことがあります。
それでできたアルバムが『Pilgrim』です。巡礼者という意味ですね。
ジャケットでは、頭が半分水の中に浸かっていて、半分出てますよね。
エネルギーを貯めておいて、今ここからスタートする、自分は巡礼者だ、そういう意味合いがあります。
このジャケットを描いたのは日本人で、『新世紀エヴァンゲリオン』などのキャラクターデザインの貞本義行さんです。原画はうちに保管してます。
エリックがこんな風に書いてほしいと手書きしたものを、僕がファックスで貞本さんの事務所に送り、イメージを話してからデザインを何点か送ってもらい、それをエリックの事務所に送って、どれがいいか決めてもらいました。
貞本さんに依頼したのは合計2回で、この『Pilgrim』と、J.J.ケイルへのトリビュートアルバム、『The Breeze: An Appreciation of J.J. Cale』です。
『Pilgrim』のクレジットには、スペシャルサンクスで僕の名前も入っています。
貴重なギター・ツアーピック
さらにここで、高橋氏が所有・管理する
貴重なギターなどをご紹介!
Paul Reed Smith – Carlos Santanaモデル
左側のサインが消えてるんですよね。カルロス・サンタナの“C”が。
弾いてたら腕で擦れて消えちゃった(笑)。 で、弾くのをやめました。
上から塗装はできるって言われたんだけど、どこでやっていいかわからなくて(笑)。
※このギターを譲り受けたエピソードは『バディットマガジン電子ばん!』にて!
このギターは販売してないものですか?
販売してない、本人のモデルですね。
サンタナが実際にチューニングルームでウォーミングアップで使ってたやつをもらったんです。
これはアメリカの『Rolling Stone』誌の表紙でサンタナ本人が持って映っています。
グラミー賞で9部門くらい取った時の取材で、このギターを抱えて撮ってます。
Martin – 000-28EC
このMartinは…?
そのエリック・クラプトンモデルは楽器屋で普通に買って、後に本人のサインをもらいました(笑)。
彼はボディにはあまりサインしないんです。ボディが綺麗なんでね。だから裏にするか上にするか。
でもギターはいっぱいあったってそんなに弾かない(笑)。
そうなんですよね(笑)。
弦も替えなくちゃいけないし。
だからアコギは今この1台だけ。
このアコギは媒体に出るのは初めてです。
数々のツアーピック
おぉ〜!ちなみにこれは何かのピックですか?
これはダリル・ホール&ジョン・オーツのピックかな。
いっぱいありますよ。まとめてクルーからもらったので。
ツアー用のピックですか?
そうそう、ツアー用の。
これは今は亡くなっているけど、ホール&オーツでベースだったT.ボーン・ウォークのピック。
あ、これはダリル・ホール。
これは『チェンジ・オブ・シーズン』のアルバムのツアーの時のピックですね。
これはアイアン・メイデンのデイヴ・マーレイのピックだ。
で、これは僕のピック(笑)。クラプトンのクルーが作ってくれました(笑)。
おお!それは嬉しいですね!
“何色がいい?なんでもいいから”って言ってくれて、グリーンで作ってもらいました。
ツアーピックってかっこいいですね…!!
これはジェフ・ベックの『Who Else!』の時の。
手元に1枚しかない貴重なやつもあって、AC/DC、この“LUKE”って書いてあるのはスティーヴ・ルカサー、リッチー・ブラックモアのホームベース型。これは鼈甲ですね。
これはKISSのエース・フレーリー。
うおお!!すごい使い込まれている…!
もう手に入らないです。
もっと手に入らないのは、もう解散しちゃってるThe Carsのピック。
これはU2のボノ。
去年のエリック(クラプトン)のも。
これがクリームが再結成でニューヨークのマディソンスクエアガーデンでやった時のピック。
クラプトンのは時々ファンがもらったりしてるけど、クリームのは無いですからね。
これはファイアーバードについてきたピックだ。
fender – Eric Clapton Stratocaster
ちなみにそのストラトは…?
それは普通のクラプトンモデルです。
なんかシールが貼ってありますが…
これは、フェンダーからもらったんです。
フェンダーがやったイベントで、ゲストで取材を受けて、その時に貰いました。
これにはまだ本人のサインを貰ってないんですけど(笑)。
24 nights
これも価値ありそう。クラプトンの『24ナイツ』の記念で、イギリスの出版社が作ったやつで、その出版の社長からもらったものです。
貴重なコンサートTシャツも
1988年なので、37年前。そのTシャツを未だに着てるんですよ。
多分まだ着てる人はほとんどいないはず。
ウドーが5回くらいかな?ニューイヤーズイブに東京ドームでコンサートをやったんですよ。
で、バブルが弾けてダメになっちゃったんですけど、5バンドとか6バンド、有名なバンドを呼んでコンサートをやっていました。
その時はまだサマソニもなかったし、うちしかやってなかったです。
インタビュー全文は・・・
高橋氏インタビュー
いかがでしたか?
素晴らしく濃い内容でしたが、
実は書き切れていない内容が
まだまだあるんです…
インタビュー全文は、
後日サブスク電子マガジン、
『バディットマガジン電子ばん!』
にて掲載いたします!

ここでしか見られない内容は…
“TACK、ギターは○○で渡すよ”
→サンタナとクラプトンに呼ばれた先は・・・
・サンタナが3ピックアップのギターでトレーニングする理由とは?
・高橋氏とエリック・クラプトンの思い出
・実際に接してのエリック・クラプトンの人柄
・エリック・クラプトンのお買い物のしかた
・ニッキー・シックス大暴れエピソード
・貴重なギター、アイテム写真
などなど、盛りだくさんな内容を、
写真をふんだんに使った
誌面デザインにてお届けします!
乞うご期待!!!
『バディットマガジン電子ばん!』
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