追悼 ダディ竹千代…憧れのダディ竹千代&東京おとぼけcats、Double hit Label

名盤1stアルバム『ダディ竹千代&東京おとぼけCATS』ジャケット。未だCD化ならず。

あのそうる透や東京BE-BOPのボーン助谷がコミックバンドをやっていたらしい…そんな噂がきっかけだった、ダディ竹千代&東京おとぼけcatsの存在を知ったのは。高校時代、もっともおとぼけcatsの情報は得づらく、レコードも手に入りづらかった。そんな時である。ダディ竹千代&東京おとぼけcatsが何度か目の再結成を遂げたのである。

結果的にラストオリジナルアルバムとなった『伊賀の影丸』と、ラストライブビデオとなった『幻の10年』…どっちが先に出たのか忘れてしまったが、今は亡くなってしまった同級生の林くんと共にまぁ、夢中となった。林くんがすごいのはおとぼけcatsに行っている。僕は行けなかったので、生で観ることはついにできなかった。めおと楽団ジギジギに取材して世田谷きよしさん(来住野“きすの”潔)やそうる透さんには取材でお会いできたけれども…リーダーのダディ竹千代さんにはついにお会いできなかった。なぜかFacebook申請いただいて繋がってはいたのだけれども。ダディ竹千代&東京おとぼけcatsがどんなバンドか知らない人は『幻の10年』を観てほしい。豆腐チョッパーが炸裂する「なかよし音頭」だけでも観てほしい。恐ろしいことに2曲だけで前半が終了してしまうライブなのだ(笑)。YouTubeでは『冗談画法』でのパフォーマンスも簡単に観られる時代…当時は僕と林くんが録画したビデオテープが周囲の音楽関係人脈をまわっていたのである。ロック好きなら必見である。

日本を代表するコミックバンドのリーダーであるとともに、90年代はDouble hitというレーベルを展開していてこれが好きだった。先述のおとぼけCatsの『伊賀の影丸』を筆頭に、ウシャコダの藤井康一、そして三国義貴や小川清史らRED WARRIORS関連のソロアルバムなどをリリースするなど、非常に面白いカタログを毎月リリースしていた(藤井康一、三国義貴は先の『幻の10年』にも準メンバーで出演しています)…今はどれも廃盤で結構プレミアついている。このダディ竹千代という人物、シンガーとしてソロアルバムもリリースしていたりもするが、ロックシーン的に一番名仕事とされているのはなんといってもカルメン・マキ&OZの作詞家・加治木剛としてだろう。再結成してくれたおかげで僕はカルメン・マキ&OZのインタビューができた。マキOZにインタビューしたというところでは、いわゆる音楽ライターとしては僕が一番若手なのではないだろうか。コテンパンにされちゃったけれども(笑)。

このライブビデオの「閉ざされた町」…まさに加治木剛の作詞、春日博文・作曲の名曲である。こんな楽曲、サウンドを圧倒的な演奏精度で1970年代に具現化していたバンドがいたのである。プログレッシブロック、サイケデリックロック、ハードロック…多彩な音楽を要して日本語詞で勝負していたのだ。歴史的名曲「私は風」のオリジナルロングヴァージョンを収録した1stアルバム『カルメン・マキ&OZ』は、カルメン・マキという時代のロックヒロインを擁したことで、当時で10万枚を超える大ヒットになったというのが今の耳では本当に凄まじいことである。春日博文の同級生だった縁もあり、マキOZの歌詞を手がけた加治木剛ことダディ竹千代だったが、日本にコミックバンド文化がないところに目をつけて、1978年にシングル「電気クラゲ」をリリースして、ダディ竹千代&東京おとぼけCATSでメジャーデビュー。B面は先述の「なかよし音頭」でした。

当時における往年のロックを批評性を持ってパロディやギャグにしてみせたダディ竹千代&東京おとぼけCATSの方法論を、結果的にセールス面共々成功させてみせたのはUNICORNだろう。ダディ竹千代&東京おとぼけCATSはギャグのテイストと裏腹のシリアスなものとの両立が当時のロックファンには浸透しなかったのが敗因だったのかな…。ダディの出だしのボーカルは忌野清志郎だし、“You Gotta…”バンドインのところはオーティス・レディング…「夕方フレンド」はいろんなパロディが入っているのだが、これをやるのにはとにかく豊かな音楽性とそれを昇華するとともに演奏技術が必要なのだ。一曲にどれだけネタを仕込んでいるのだ!?という好例である。

今、おとぼけCatsでもっとも知られている楽曲は、親交の深かった山下達郎が作曲した「偽りのDJ」だろう。アナログレコードブームやシティポップブームが追い風となって近年オリジナルは高騰、アナログレコードでリイシューされるといった現象も起きている。サブスクなどで簡単に聴ける時代になってしまった。王道のポップソングとして聴かせながらも、実際はミッドナイトと(顔は)見ないをかけたりと、DJを散々揶揄しているダディの痛烈な歌詞が光る一曲である。そのうち Sunday Song Bookで追悼ソングとしてかかりそうですね。

加治木剛(ダディ竹千代) (著), 伊武文緒 (著), LifeHappine (編集)「突然の青春 まえ: 日本のロック史 黎明期を彩った伝説のエピソード」

近年は僕もよく足を運んでいるライブハウス、二子玉川ジェミニシアターを手掛けるとともに、ある意味でおとぼけCatsを受け継いだ、ふたご座流星群 with 世田谷リバーサイド楽団なども手がけつつ、自叙伝的な小説『突然の青春』を手がけていたダディ竹千代さんであります。amazon のKindle Unlimitedに加入していればフリーで一部は読めたものなのですが、その後完全版としてペーパーバックとしてまとめられています。同様のケースでさいとういんこさんの詩集もゲットできた僕ですが、最近はこういう出版の仕方もあるのですね。車椅子生活になってからは残念ながらかつての破天荒なパフォーマンスから離れざるを得なかったダディさんですが、Facebookでは相変わらず尖った発言でも楽しませてくれていました。そういや最近更新がないなと思っていたのですが、まさかお亡くなりになったとは…大変驚いております。僕は亡くなった同級生の意思も受け継ぎつつ、これからもダディ竹千代&東京おとぼけCATSを語り継いでいく一人でありたいと思っています。日本語ロック表現の方法論、そしてロックにおける諧謔精神とそのジレンマを教えてくれた偉大なる存在…加治木剛ことダディ竹千代、安らかに。

最後のオリジナルアルバムとなった『伊賀の影丸』。いまだアルバムタイトルの意味は不明。

 

 

News北村和孝の音楽エッセイ「楽興のとき」邦楽音楽
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投稿者
北村和孝

埼玉県西川口出身、現在も在住 (あるいは西新宿の職場に籠城)。
元はSSW志望だが90年代後半にrhythmagicを立ち上げて鍵盤やギターもプレイ。
新宿ヘッドパワーを拠点にバンド活動やイベント企画も2010年代まで行なっていた。
大東文化大学卒業後、音楽雑誌Playerに入社。2018年より編集長に。
『高見沢俊彦Guitar Collection 500』『高崎晃Guitar Collection』などの大型写真集、
まるまる1冊女性ミュージシャンで構成した『魅惑のMuses』などの別冊も手がけた。
惜しくも2023年7月で音楽雑誌Playerが休刊となり、フリーの編集者として再スタート。
自ら撮影、取材、インタビュー、執筆するDIYスタイルで洋邦問わず80〜90年代ロックを主体に、
ジャズ/フュージョン、ラジオ、サブカル関連を日々追い続ける。銭湯も趣味。
2024年早々、敗血症ショックで救急搬送されてご迷惑をおかけしましたが回復しつつあります!もう大丈夫!

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