年明けに敗血症で救急搬送された前後の記憶は
正直曖昧なのだが、
少しずつ現実が認識できるようになった頃、
なぜか頭の中で流れている音楽があった。
それはLOOKの「まるっきりKITTY」という曲で、
LOOKのデビューアルバム『BOYS BE DREAMIN’』に
収録されている楽曲だ。
鈴木と〜るとレコーディングではおそらく
江口正祥のツインリードだと思うのだが、
ギタープレイも痛快なのである。
自分のApple MusicにLOOKは
全音源をリッピングしてアップロードしてあるので、
iPhoneやMacがあれば、
CDやレコードがなくてもいつでも聴けるのは実に便利だ。
もっともラストアルバム『OVER LOOK』以外は
サブスクで聴けるわけだけれども。
世の中的にはデビュー曲であり最大のヒット曲である
「シャイニンオン 君が哀しい」が
1曲目に入っているアルバムゆえ、
かのイーグルスの名盤『ホテルカリフォルニア』と同様、
1曲目だけ聴いて満足してしまっている人も多かろうが、
LOOKには駄作など存在しない。
『BOYS BE DREAMIN’』に限らず
計4枚のオリジナルアルバムは名曲だらけだし、
レコーディングされなかった名曲が多いのも
実にもったいないと思うし、
二代目シンガーの大和邦久を迎えての
LOOK LONESOME LANE CLUBも
The Becauzも全てが素晴らしい。
僕の青春に欠かせないバンドの一つであり、
僕の理想のバンドだった。
全員がソングライティングするバンドであり、
歌えてコーラスができてハイトーンボーカルっていうのが
十代から僕にとっての理想のバンドであり、
THE ALFEE(曲書きはほぼ高見沢俊彦だけではあるが…)、
STARDUST REVUE、LOOKには特に憧れた。
ソングライター集団で
いろんな人が歌うバンドっていう意味では
ムーンライダーズやYMO、
センチメンタルシティロマンスなども
いたわけだけれど、
ハイトーンボーカルっていうのが
どうしても僕には憧れだった。
しかもハードロックやヘヴィメタル方面ではなくて、
自分の性格的にロックに向いていないことは
わかっていたので、
ハイトーンボーカルで本気でポップスをやるのが
かっこいいと思っていた。
ファッションもいわゆる
ロックファッションでなくてカジュアルでいい。
今ではロックがどんな定義かっていうのは
自分の中ではっきりあるけれども、
当時はよくはわかっていなかったから
余計にアンチロック的なスタンスで
ものを見るようになってしまった。
とはいえ、ロックをやる人って僕にとっては
選ばれた才能の人であり、
ポップスってそういうんじゃなくて
すごく研究して作る音楽のような
イメージがあったので、
そうしたシーンの片隅なら僕の居場所も
あるような気がしていたのである。
シンガーソングライターであり
バンドマンっていうのが
かっこいいと思っていたのだけれど、
中でもLOOKのメインソングライターの
千沢仁はとにかく憧れの存在だった。
YAMAHAエレクトリックグランドピアノCP-70、
もしくは80を弾きながら歌う姿がカッコよかったし、
「STARDUST CLUBで人生を…」
といった楽曲によってはステージ前に出てきて
と〜るとツインボーカルで
デュエットする勇姿もたまらなかった。
不思議だったのは
「シャイニンオン 君が哀しい」だけが
異様に大人びて聴こえた点だった
(千沢仁の作詞というのが無論大きいのだろうが)。
もちろん他に大人っぽい曲もあったけれども、
サックス奏者のチープ広石作詞のものでは
12inchシングル「少年の瞳」など、
少年の夢をテーマにした楽曲が多かった。
シングル「追憶の少年」では
少年期の終わりを早々に歌ったりしたのも
当時ショックだったものだが、
ようは大人のミュージシャンがあえて
少年の気持ちを歌ってくれるところに
グッとくるティーンエイジャーが僕だったのである。
元々は千沢仁のリードボーカルで
進んでいたバンドだったが、
「シャイニンオン 君が哀しい」の
サビのハイトーンを
ファルセットなしで歌えたことで、
と〜るのハスキーボーカルを
メインに押し出すことになるという
運命の悪戯も不思議だった…
しかもステージングを見てもどう考えても
と〜るはフロントに立つ人だなっていう
カリスマがあったわけで
(もっともデビュー前のバンドから米軍キャンプ周りで
子供ばんどと対バンしていたような早熟ギタリストだったのですが)。
と〜る脱退後の
LOOK LONESOME LANE CLUBでは
当初千沢仁ボーカルでって構想もあったのに、
千沢仁本人がその路線を選ばず
大和邦久を迎え入れるという
プロデューサー視点も面白かった。
もっともその後は千沢仁リードボーカル曲が
なくなっちゃったのが
LOOK時代からのファンには残念だったし、
いずれソロアルバムを作る人だとも
思っていたのに(今のところは)それもなかった。
何年か前に大和邦久のライブに来られていた
千沢仁にご挨拶できた際、
いつまでもソロアルバムを
待っているってことを伝えたら、
いやいやいや…
みたいなことを言われてしまったが、
そんな千沢仁フォロワーは
決して僕だけではないはずである。
元々はドラマーだったっていうのも面白いが
(NOSIDEの松浦誠二のバンドで叩いていた)、
コンポーザーとしての才覚は
本当に衝撃的なものがあった。
屈指のメロディメーカーとは
千沢仁のような人のことを言うのだと思う。
一方のシンセサイザー奏者・山本はるきちは
かのプログレバンド KENSO出身で、
KENSO時代はドラマーだった
というのも面白い。
元ドラマーである二人がそれぞれ
LOOKのコンポーザーであり
鍵盤楽器担当にスイッチしているのである。
山本はるきちは
KENSOかLOOKの活動を迫られて
泣く泣くLOOKを選ぶわけだが、
そもそも高校時代から
宅録でアルバムを制作するような
早熟の音楽家であり、
弦楽器も鍵盤も打楽器もプレイする
マルチプレイヤーであり、
「Round at the night」はその代表曲である。
なんと2ndアルバム
『LOOKIN’ WONDERLAND』の
1曲目に入っている曲であり、
鈴木と〜るでも千沢仁の
リードボーカルではない曲が
アルバムのトップを飾るっていうのも
レアケースである。
こういった思いがけない点でも
LOOKは僕をワクワクさせてくれた。
そしてその作詞を手がけたサックス奏者の
チープ広石もブラックミュージックを志しつつも、
ポップスというものにすごく理解の広い人で
その才覚は作詞を手掛けた楽曲に表れていた。
“少年の夢”のコンセプトにおいて
チープ広石のアイデアは大きかったし、
実際のところLOOK時代の楽曲の6割は
そういうテイストの歌詞だったのだ。
思えばLOOKのメンバーで
最初にアプローチできたのがチープ広石だったし、
そのメールのやりとりは今となっては
宝物なのだけれども彼は若くして
この世を去ってしまう。
そして大和邦久と僕を繋いでくれた。
The Becauz以後は
活躍の場が限られてしまって
結果的に脱退してしまったが、
むしろそれ以後の方が
自由に活動していたイメージもあるし、
吉田朋代、林哲司と結成した
GRUNIONのライブを一回だけだけれども
観られてよかったなって思う。
鈴木と〜るの脱退でLOOKは解散するが、
以後は鈴木トオル名義となり
独自のポップスを追求している。
東芝EMI時代はオーソドックスな
ポップスシンガーだったけれども、
EPICから唯一出した『砂漠の熱帯魚』、
そしてパイオニアLDC移籍後の
『黄金の椅子』『黄金の椅子Ⅱ』は
かなり実験性の高いポップ路線を挑んでいるのに
僕は相当感化された。
なお、この時代の作詞の多くを手がけていたのは
EPICのスタッフから作詞家に転向した
只野菜摘である。
残りの三人は先述の通り、
二代目シンガー大和邦久を迎えて
LOOK LONESOME LANE CLUB、
通称L3Cを結成。
しかし新たなキャリアを求めた
山本はるきちが脱退、
大和、千沢、チープ広石で
The Becauzを結成するも
チープ広石もやがて離れて、
大和、千沢でBECAUZになるというところで
LOOKストーリーは終焉する。
予想外だったのは作家活動をしばらくした後に
千沢仁ほどの才能の人が
唯一沈黙してしまった点で、
これはまったく予想できない事態だった。
その辺のことを訊きたくて
一度インタビュー取材をオファーしたものの
断られてしまったので、
いまだ持って千沢仁の真意は
よくわからないところがあるのだけれど、
コンポーザーとしてもシンガーとしても
実に惜しい。
大和邦久が
「シャイニンオン 君が哀しい」を
カヴァーした際に、
久々にコーラスを聴かせてくれた時は
感動ものだったけれど、
なんとか表に引っ張り出せないものかという想いは
日増しに強くなる一方である。
LOOKに駄作がないのは書いた通りだが、
一曲選ぶとするなら僕にとっては
「PARTY LIFE」である。
千沢仁と山本はるきちの共作であり、
と〜ると千沢仁のデュエットナンバーである。
この曲に衝撃を受けた中学時代以後、
どれだけこの曲をパクったり
オマージュした曲を作ってきたことか。
最初はピアノを弾きながら歌っていた千沢仁も
最後には飛び出してきてステージ前で
と〜ると歌い上げるところも最高である。
楽曲の位置的には先述の
「STARDUST CLUBで人生を…」の
続編的なイメージの曲なのだけれども、
ラスサビ前のハンドクラップと
シンガロングパートのアレンジとか実に衝撃的だった。
僕は多分一生この曲にこだわり続けて
習作を作ろうとするのだと思う。
そしてと〜るのハイトーンボーカルの
最高潮と考えるのは3rd『WINGS』収録の
「恋はフェアリー」である。
この曲も千沢仁とのデュエットなのだが、
二人のボーカルの対比が実に刺激的だ。
ライブ音源よりもこの曲は
レコーディング音源の方が
刺激的な仕上がりかもしれない。
山本はるきちのシンセプレイの
キャッチーさも素晴らしい。
そして鈴木トオルが
EPICに残した最後のアルバムが
『砂漠の熱帯魚』。
ソロデビューシングルとして
リリースされたのが「夜を泳いで」でした。
このアルバムは楽曲により
当時最先端だったシンクラヴィアを多用したり、
サウンドメイキング的にも
画期的なシーンが多かったです。
LOOKとはまた一味違う大人のポップスに挑んだ
鈴木トオルの究極と言いますか。
「街にあきた僕」「エッシャー的恋愛」「避暑地が遠くなる」…
名曲の宝庫でありました。
LOOKはいきなりデビューシングル
「シャイニンオン 君が哀しい」が
大ヒットしたのは良かったが、
屈指のバラードだったがゆえ、
メンバーは常に次なるヒットを求められる
プレッシャーの常で大変だったようですが、
結果的に完成度高いポップスを残したという点で
LOOKは一貫したわけで、
やっぱり今振り返っても本当に
凄いバンドだったな、
こういうバンドがEPICにいたっていうのは
誇れるなって思います。
それにしてもマルチプレイヤー集団だったとはいえ、
vo&g、vo&pf、vo&syn、vo&saxの4人組だなんて
編成のバンドはもう出てこないだろうな…。