バディットマガジンWEBばん!で
イチオシのアーティストを紹介し輪を繋いでいくコーナー
✨✨アーティストのわ✨✨
今回は、髙橋祐子 さんからの繋がりで
徳田しずか さんを
ご紹介します!
(髙橋祐子さんのインタビューはこちら )
徳田しずか インタビュー
徳田しずか
1995年 鹿児島生まれ。
2歳からピアノ、4歳からヴァイオリンを始める。
高校入学と同時にバンド活動を始める。
鹿児島大学法文学部に入学後、バンド活動やサポート演奏をする傍ら、作編曲、DTMを独学で始める。
大学卒業後は舞台音楽制作を中心にフリーランスとして活動。
日本音楽教育文化振興会主催「サウンドクリエイター・オブ・ザ・イヤー2019、2020」ファイナリスト。
2022年よりRightTracks所属。
制作実績:
映画
映画「まだゆめをみていたい」瀬名亮監督(作・編曲)(2024年)
ショートフィルム「美食家あさちゃん」 瀬名亮監督(2024年)
白雨 (作・編曲)/ 水井章人監督(2022年)
ドラマ
Amazon Prime Video『ショート・プログラム』「スプリングコール」「メモリーオフ」(作・編曲)
ドラマCD
恋した人は、妹の代わりに死んでくれと言った。」(作・編曲)(2024年)
ゲーム
『グランツーリスモ7』 (作・編曲) (2022年)
その他
丸由百貨店 リニューアルオープン CM 音楽/歌/ナレーション (2022)
社会医療法人博愛会 相良病院 コンセプトムービーBGM (2022)
Sony CSL Flow Machines 楽曲提供
髙橋祐子さんとの出会い
(前回インタビューの)
髙橋祐子さんとはいつ頃お知り合いに?
5、6年前ですかね、
すごくお世話になっています。
上京したての時もご飯に誘ってくださったりとか、
髙橋さんのご縁でラジオに出演させて頂いたりしたんですけど、
もういろんな面でお世話になっていて。
最初に髙橋さんに出会ったきっかけは?
きっかけは母だったんですよ。
髙橋さんが東京でイベントに出演されていて、
それをたまたま母が見に行っていて、
「すごい、この人は天才だ!」って大ファンになって。
それからの繋がりなんですよ。
ご一緒に行かれたんですか?
私はその時は見ていなくて、
母に動画を見せてもらったんです。
すごい魅力的な、素晴らしいミュージシャンの方なんだ、
っていうのが最初の印象でした。
それ以降も、鹿児島に
ライブのサポートでいらしていて、
初めてちゃんとお話したのは
その時かな…。
そこから仲良くしてくださっています。
髙橋さん、すごいですよね。活動も勢力的で、
オリジナル曲も作られていて。素晴らしいですよね。
去年から私、サポートで
鍵盤弾かせていただいたりとかしてまして。
髙橋さん、ことあるごとに徳田さんのことを
「あの子は天才だ」って仰ってましたよ。
とんでもないですよ(笑)。
それは私が髙橋さんに思ってることなので。
お互いにリスペクトし合っていますね。
めちゃくちゃリスペクトしています。
本当に髙橋さん、多才でいらっしゃるので…。
何でもやっちゃう上に、
人としても素晴らしく魅力的な方。
鹿児島にいた頃は、ただただ憧れる存在で、
今もその憧れっていう部分は変わらずあるんですけど、
会えたりとか、ライブを一緒にさせて頂いたりとか
っていう事が出来るようになったので、
なんか不思議というか、嬉しいです。
光栄だと思っています。
暗闇で光る骸骨のキーホルダーとか付けてる子どもでした(笑)
それでは、
ご自身の音楽的ルーツや、音楽を始めたきっかけ、
作曲家として活動するに至った経緯など
お伺いしてもよろしいでしょうか?
幼少期くらいまで遡っちゃうのですが、
私の母がピアノの先生で、父は調律師だったので
日常的に音楽のある環境でした。
でも、小さい頃はポップスを全然聞いていなくて、
クラシックとか…あと、
家族がすごく映画好きだったので、
映画のサントラをよく聞いていましたね。
(映画のサントラが)ちっちゃい頃から大好きだったんですよね。
物を欲しがらない子どもだったらしくて、
おもちゃとかは全然興味なく、それよりも
映画見たりとか、綺麗な音が鳴る楽器みたいなおもちゃとかが
すごく好きだったらしいです。
で、言葉を喋るのがすごく早かったらしくて、
2歳かもっと小さい頃に喋り出して、
喋り出した途端に
これ何々の音がする、あれ何々の音がする、
って言い始めたらしいんです。
鍛えた事もないのに絶対音感が元々あって。
だから、ちょっと変わった子どもだったらしいです。
ちっちゃい時って、
女の子だったらサンリオとかが好きだったりするじゃないですか。
それよりも、私はミュージカル映画の
『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』を見た時に
めちゃくちゃ衝撃を受けて、「これ私好きだ」ってなって。
小さい頃にそれは珍しいですね。
もうこれが大好きだってなって、
そこから、いわゆる女の子っぽい物、
子どもが喜びそうなものに全然興味がなくて、
幼稚園バッグにも ジャック・スケリントン の
暗闇で光る骸骨のキーホルダーとか付けてる子どもでした(笑)。
あと、草間彌生 さんが好きで
なんか、キノコとかお花みたいなバッチを付けてるような子どもで、
変わった子どもだったらしいです。
いきなりアーティスティックですね。
だから、学校とかにはなかなか馴染めなくて。
幼稚園も途中で辞めちゃったし、
小学校の時もあまり友達いなくて、
馴染めない感じでした。
『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』に
出会ったのが一番最初の衝撃で、
ティム・バートン の世界観がすごく好きな子どもでした。
で、ティム・バートンの作る映画の音楽を手掛けているのは
ほとんど ダニー・エルフマン っていう作曲家で、
子どもの頃から一番好きだったんです。
未だにずっと追いかけている作曲家ですけど、
一番影響を受けていると思います。
幼稚園時代からの影響でしたか!
母がピアノの教師なので
よく周りから「ピアノを教えてもらえていいね」って言われたんですけど、
母は祖母の介護があったり、生徒さんもいっぱい受け持っていたし、
姉の教えているバレエ教室の経営とかもやっていて、
とにかく忙しい人なので、
あまりピアノを教えて貰えなかったんです。
でも、ピアノ教室から
いつも音が聞こえてくるんですよね。
生徒さんが弾いているそれを耳で覚えて、
自分で弾いているような感じでした。
普段練習しないのに、なぜかコンクールには出ていて、
小学生の時は、コンクールの前だけ
教えて貰うようなスタイルでした。
バイオリンも小学生の中学年くらいまで習っていましたね。
結構、クラシックとか映画のサントラ漬けな毎日でした。
中学生の時に初めて、
友達にJ-POPを色々教えて貰ったんです。
それまで全然ポップスとか聞いた事なかったんで、
面白い、こんな音楽もあるんだって思いました。
そこから高校生になって、
バンドを始めたんです。
部活で邦楽ロックとかのコピーをやっていました。
あと、うちのバレエ教室の舞台イベントで
ピアノを弾いたりもしていました。
進学校だったので勉強と、
イベントのピアノとバンド、
その3つをやっていました。
中学校でお友達に教えてもらったJ-POP、
どんなアーティストでしたか?
そうですね、その友達は女性ボーカルが好きで、
aiko さんとか YUI さんとか
YUKI さんとか、大塚愛さんとか。
あと、Perfume とかも聞いていましたね。
男性ボーカルは高校に入ってから急に聞き始めて、
その当時は BUMP OF CHICKEN がすごく流行っていて、
みんな聞いてる感じでした。
バンプはどの辺りが流行っていました?
『ユグドラシル』辺りだったと思います。
『jupiter』とかの初期のアルバムも好きです。
名盤ですね。
でも、相変わらずサントラは好きで、
色々聞いてました。
当時はどのように聞いていましたか?
CDとか、ラジオやテレビで、とか…。
中学高校の時は、
TSUTAYA とかでCD借りて来てたと思います。
初めて人前で自分の曲を発表したのが、高校の文化祭
高校時代から作曲に興味を持ち始めて、
最初は弾き語りで、多重録音していた感じです。
多重録音っていってもDTMではなくって、
メモ録音を重ねていたくらいですが。
弾き語りの曲ですか?
高校時代の私は、
バンドでボーカルやってて
そのバンドでやりたくて作り始めた感じです。
初めて自分が作った曲は
みんなで一緒にアレンジしました。
初めて人前で自分の曲を発表したのが、
高校の文化祭だったんですね。
すごくそれが楽しくて。
初めて作曲らしいことをしたっていうのがそれですね。
その後私は鹿児島大学に入ったんですけど、
進路はどうしようか迷っていたんです。
やっぱり音楽が好きだから、
音楽系に行こうかどうしようかとか。
中学校の時に母とは別のピアノの先生にも習っていて、
その先生にも色々相談に乗って頂いたりして
すごく考えたんですけど、
高校生の時に父が亡くなったのもあって
経済的な所も考えまして。
音大ってそこそこお金かかるので。
それで、
鹿児島で実家から国公立大に行って、
その代わりに、
機材を買ったり自分で勉強に費やしたりする方が
いいんじゃないかって。
音大に行こうかなって思っていた時期もあったんですけど、
クラシックをやりたかったという訳でもなかったので、
そこも考えるポイントではありましたね。
音大といえばクラシック音楽になりますからねぇ。
全ての基礎がクラシックにあるので
クラシックを学ぶのは大事なんですけど、
なんかそれをどっぷりと大学生でやりたいか、って言われたら
なんか違うなってなってきて。
母は音大卒なんですけど、
多分、私の性格とかも見ていて
音大じゃなくて自分自身でやった方がいいんじゃないかって
思ったのかなぁって。
DTMを始める時、
一番最初に、パソコンだったりインターフェースだったり
いろいろ必要じゃないですか。
そういった物を、国公立に行ったときに母が買ってくれたんですよ。
いいよ、って出してくれて。それで始めました。
素晴らしいお母様…!
最初はどんな機材からスタートされたか、覚えていらっしゃいますか?
最初は本当に簡易的で、
MacBook Air と Steinberg UR22 っていうインターフェース。
あとはヘッドフォンとMIDI鍵盤ですかね。
だけ(笑)。
必要最低限揃っていますね。
DAW は、最初はGarageBand で、
そこから Logic に移行しました。今も使っています。
本当に最低限の、音源やプラグインも何もない状態から、
ゼロから自分で学びました。
DTMを始めてみて、何か変化はありましたか?
音楽の見え方や感じ方が変わってきたような事とか…。
やっぱり、作るのが楽しいって思いますね。
演奏も今までやってきて、楽しいんですけど、
練習にあまり向いていないというか。
練習ずっとやってると飽きちゃう性格なので、
それよりは作る方、
新しい物を作るのが楽しいです。
もうその頃から、
アーティストとしてよりは
作曲の方に関心が強かったんですね。
そうですね。
大学時代に、本当にいろんなジャンルに興味があったので
片っ端から色々作ったんですよ。
歌もロックバンドもすごく好きだったし、
海外のロックバンドもすごく聴くようになって。
70年代もすごくいいなって思うし、
やりたいことがすごく増えちゃったんですよね。
興味あることが定まらなくて、
それが定まるのにすごく時間がかかりました。
いろんなジャンルを模倣して作曲することを
試行錯誤されていたということですか?
耳コピみたいに、各ジャンルを再現するような。
そうですね、
サウンドをすごく寄せて、全然違う曲を作る、
そんな事をやってましたね。
自分の引き出しが増えるし、
こういう音を作りたい時はこうすればいいんだな、っていうのが
だんだんわかってくるので、
それで勉強してたところがあります。
「サウンドクリエイター・オブ・ザ・イヤー2019、2020」ファイナリストでいらっしゃいますが、
これ以前にも挑戦されていたのですか?
それ以前は、大学の時にオリジナルバンドを組んで
大会に出たりしていました。
鹿児島で一番になって、
九州エリアのファイナルには行ったことがあります。
当時のパートは?
今考えると恥ずかしいんですけど(笑)、
ボーカルと作詞作曲をやってました。
バンドは楽しかったんですけど、
バンドゆえの難しさ、みたいな感じがありました。
なんて言うのかな、
熱量が違ったりとか、好きな音楽の方向性が違ったりとか。
そこがすごく難しいなって思って。
モチベーションの違いは響いてきますね。
私も当時、コミュニケーション下手だったというか、
不器用な部分がすごく多くて、
今となってはメンバーに申し訳なかったなとか、
迷惑かけちゃったなっていう部分もいっぱいあって
反省してるんですけど。
私にも何かしらの要因があって、プラス
メンバー同士の方向性やモチベーションの違いがあって、
そこで、「私はバンドでオリジナル曲やりたいのかな」って悩んじゃったんですよね。
そこでバンドを一回辞めようと思って。
で、大学2年生の時に
社会人バンドがキーボード募集しているっていうお話を
先輩から頂いて、学外でバンドをやり始めたんです。
そこでちょっと運命的な出会いがあり、
洋楽の素晴らしさを知ったんです。
それまであまり洋楽を聴いてなかったんですよ。
アーティストで言うと、どの辺りの洋楽でしたか?
シカゴ とか アース・ウィンド&ファイアー、
ビリー・ジョエル などを中心に、
70年代、80年代のバンドをかいつまんでいました。
サウンドクリエイター・オブ・ザ・イヤーで1回目に賞を取った時は、
打ち込みで作ったクラシカルなオーケストラだったんですけど、
2回目は違う分野のロックでエントリーしてみたくて、
そのバンドのメンバーにレコーディングをしてもらったんです。
バンマスの自宅スタジオに集まってやったりしました。
楽しそうですね。
楽しかったです。
社会人バンドでは、みんな大人の人ばかりだったので、
人間関係とか悩むことがなく、なんだか可愛がってもらえて(笑)。
自由にのびのびやらせて貰えました。
髙橋さんと出会ったのが、ちょうどこの辺りになるんですね。
そうですね、その辺りです。
チャンスを掴みたくて
大学卒業後、ファイナリストになるまでに少し期間がありそうですが、
その間は何をなさっていたのですか?
そうなんですよね。しばらく地元で就職もせずにピアノ教えたりとか、
地元のアーティストさんのライブサポートで演奏したりとか、
結婚式でピアノ演奏するとか、
いろいろやりながら模索してましたね。
大学を卒業するくらいになって、
自分は劇伴がやりたいんだっていうのが
だいぶはっきり見えて来て。
それで、どうしようと思って。
地元にいても、映画音楽とかゲームの音楽とか
自分が思い描いているお仕事ってなかなか厳しくて、
上京するしかないなと思いつつ、
でもきっかけが何もないまま行っても…なんていうのもありまして、
地元で活動しつつ、どうしようかと考えていました。
事務所に所属したいなと思って、
作曲家募集っていうのを探していたんです。
とにかく映画音楽をやりたくてネットで探したんですけど、
映画音楽をやってますって打ち出しているところはほとんどなくて。
歌物は結構あるんですけど。
すごく探して、今所属させて貰っている
ライトトラックスという会社を見つけて、
絶対ここに行きたいと思って応募しました。
そうしたら、社長からすぐに
「東京は厳しいよ」ってすぐメールの返事を頂きまして、
それから私がデモを送って、
それに対してアドバイスを頂くっていうやり取りを、
1年弱くらいずっと付き合っていただいたんです。
やりたいなら、上京することがスタートラインだよってお話だったので、
上京することにしたんですけど、
ちょうどその時期にコロナが流行って、だいぶ時期をずらしたんです。
それもあって、しばらく鹿児島に留まっていました。
あの時期は人の移動なんて…みたいな扱いでしたね。
そうなんです。周りの目もあるし、どうしようって。
仕事もあるのかないのか、みたいな感じに思っていましたし。
それでもやっぱり出たくて、ちょっと間を開けて出て来ました。
山あり谷ありですね。
東京に来たら所属でいいよっていうわけではなく、
東京にきても難しいからしばらく様子を見よう、って社長に言われて、
それでも私はチャンスを掴みたくて。
で、10月に出て来て、12月頃に社長から
「今これやってるんだけど、作ってみないか」と言って頂いて、
もちろんやります!ってお返事しました。
それが通ったら、所属も考えようかっていうお話だったんです。
それが グランツーリスモ でした。
レースのゲームなんですけど、レース中じゃなくて
入賞結果か何かの場面の曲だったと思います。
このグランツーリスモが
所属のきっかけだったのですね。
同じ時期にドラマの音楽のお仕事も頂いていました。
映画の音楽もなさっていますね。
映画も、もう4作くらいやらせて頂いたんですけど
『まだゆめをみていたい』といういう作品が
ついこの間配信になりました。
絵で語っていない所を音楽で表現する
現在の機材をお伺い出来ますか?
M1 Mac mini を使っていて、
スピーカーは FOCAL(フォーカル)の Shape 50 です。
音源はKontakt KOMPLETE や、Spitfireシリーズ、
Addictive Drums、Waves のシンセなど
様々なものを使用しています。
会社でのデータの互換性を考えて
プラグインを選ばれていたりしますか?
互換性はあまり考えていないですね。
基本的に一人で作るので。
他の人とデータを共有して作業することは、あまりないですね。
修正のやりとりは言葉が中心ですか?
データを直接操作してやり取りするようなことはなくて…。
そうですね。オーダーを頂いて、それを自分で直します。
時々、先輩のお手伝いで
MIDIとか譜面のやり取りとかはありますけど、
プラグインの操作などはないですね。
いろんな作品に音楽を作られていますが、
音を組み立てていく際に気をつけている事はありますか?
例えばゲームと映画で、
私の場合は作り方というか発想が違うんですよ。
ゲームって、映像に合わせて作るわけではなくて、
例えばキャラクターのバトル曲だとしたら、
そのキャラクターのイラストだったり詳細を見て、
イメージをずっと考えますね。
なんか私は、筆を取るまでが結構長いというか。
方向性が決まったら割と早いんですけど、
それまで考えてる時間が結構あります。
キャラクターの性格とかを深掘りする感じですか?
そうですね、性格的なものもそうですが、
ビジュアルも大事ですね。
例えば、可愛らしい男の子で、繊細でナイーブな感じで…とか、
その辺はすごく考えますね。
劇伴、映画とかドラマとかの絵に合わせる場合は、
シーンに沿う音楽が必要で、
絵で語っていない所を音楽で表現するのが大事だなって思います。
あと、監督の意向…どういうシーンに見せたいか、
その曲をどういう方向に持っていかせたいかっていうのが大事で、
ひたすら映像を見ながら、何か弾いたりしていますね。
逆に、あまりメロとか音の主張が激しくない方がいい場合もあって、
シンセの音色をいじったりする事もあります。
音符にならない音が大事になってきたりしますよね。
そうなんです。
音符に書くことは本当に一部というか、
それ以外の部分もすごく多いですね。
音作り、エンジニアリング的な所も含めての作曲だなと
思いますね。
あと、劇伴の場合だと、
台詞とか効果音との兼ね合いがあるので、
そこも計算して作らないといけないという点が
だいぶゲームと違う所です。
ゲームは結構音楽が派手というか、
わかりやすく主張していいところがあるのですが、
劇伴は監督の意図を音で表現するので
発想が結構違いますね。
ゲームは没入感といいますか、
自分自身がプレイヤー、主人公になりますね。
そうなんですよね。
だから派手目に作った方が合うのかな、とか
色々考えますね。
プレイしている人がアガるものを作らないといけないので。
だから、ゲームの方が音楽単体でも成り立つのかなっていう気はしますね。
映画は本当に、音楽と映像がセットになっている作品というか。
もちろん、“セットになっている作品”っていう部分は
ゲームも同じなんですけど、
ちょっと距離感とか意味合いが違うというか。
でも、どちらにしても一番大事だなって感じているのは、
作品のトーンを掴むこと。
トーンがずれていると全然ダメになっちゃうので、
そこを掴むまでずっと考えてる感じです。
ビビッドな原色系にしたいのか、
淡い幻想的な雰囲気にしたいのか…みたいな?
そうですね、作品のトーンが一番キモなのかなって気がします。
私もまだ全然、経験もまだ少なくてこれからなので
あんまり言えないんですけど(笑)。
勉強しながらって感じです。
ちなみにゲームはされますか?
あんまりしないんですよ。
楽しいから始めちゃうと延々とやっちゃうので(笑)。
あえて自分を抑えるためにしてない所もあります。
先輩にゲーム好きな人が多いので、
新作のお話を聞いてやってみる感じです。
ここ数年で見た映画で、
お気に入りのものを教えて頂けますか?
『ジョーカー』が好きです。
劇伴音楽ももちろん素晴らしいんですけど、
劇中歌の使い方がすごくかっこいいんですよ。
『ガーディアンズ』シリーズも好きですね。
ガーディアンズに限らず、マーベル映画は
音楽の使い方がかっこいいのでよく見ています。
悲しい絶望的なシーンにめっちゃ明るい音楽、とか
すっごい緊張感あるシーンに能天気な音楽が流れたりする、
そういった音楽の使い方がすごく好きですね。
ギャップがあるからこそのイメージですね。
そういう効果、
音楽と映像が一緒になった時の効果が面白いなと思います。
プロの劇伴作曲家を目指す方へメッセージを頂けますでしょうか?
そうですね、
例えば、映画が好きだったら映画をめちゃめちゃ見るとか、
本を読むとか、ゲームとか、
好きなものをとにかく追求したらいいんじゃないか、
そこから道が開けてくる気はします。
好きなものをとことんやり込んで、
勉強してトライしてみることです。
失敗の先に成功があると思うので、
諦めずにたくさんトライすることだと思います。
私もこれからなので全然大きなこと言えないんですけど(笑)、
一緒に頑張りましょうという気持ちを込めて、
お伝えさせて頂ければと思います。
徳田しずかさん、ソロプロジェクトで最新楽曲のリリース!
徳田しずかさんインタビュー、いかがでしたか?
実はアーティスト活動もされていまして、
つい先日、徳田さんのソロプロジェクト “Siz”が
2曲目をリリースしました!
ぜひお聞きください!!
「New Journey」
作詞・作曲・編曲・ボーカル:徳田しずか
ミックス:北吉泰輔
プロデュース:菊地智敦
アーティストがイチオシアーティストを
紹介して繋がっていく
『 アーティストのわ 』
次回は、徳田しずかさんからご紹介頂きました
山田エンリ さん
を予定しています!!!
お楽しみに✨✨✨