毎月第二水曜夜23:00よりコマラジ(FM狛江)にてここ三年、音楽ライター池上尚志氏と北村和孝により放送している音楽番組がJAPANESE ROCK 80’s on Radioです。
その名の通り80年代の日本のロックに照準を定めて、今だからこそ聴き直したい80年代のジャパニーズロックを、毎月テーマごとに聴いていきましょうというプログラム。
池上さんのレコードコレクションから探していただき(発掘が毎度大変らしい…)、毎月様々なテーマで他の番組ではまずかからないようなマニアックな選曲でお届けしているのがこの番組の特徴です。
バレンタインデーの2月14日(水)放送の2024年2月回のテーマはズバリ「黎明期EPIC」! 僕の愛する“EPIC・ソニー”がレーベル設立45周年を迎えたのを記念して、今バディットマガジンの“EPIC・ソニー”特集号の制作に入っているのですが、これに因んでの番組内容になっております。
そういえば初回からこの番組のオープニングテーマ曲は鈴木賢司「輝ける7つの海をこえて」なので、今回かかる曲は全部EPICからのリリース音源ですね。
僕にとってのライフワークにEPIC・ソニーというレーベルの研究があるのですが、現Epic Records Japanというレコード会社である通称EPIC・ソニーが2023年8月でレーベル設立45周年を迎えました。
2021年には渡辺美里、松岡英明によるW表紙によるこんな本を僕は作っていますが見事完売しました^^。
ちなみに表1側、表4側と読む向きを変えるという変わった作りにしたところ見事印刷事故を起こして発売日が遅れるなんて惨事を起こした本でもあります…この本を持っている方しかわからない話ですが。
さて、我々は2023年11月からバディットマガジンという新たなメディアを僕はスタートさせました。
このWebメディアに加えて昨年11月に初の紙媒体で発行。
さらに今、サブスクリプションシステムによる電子版を準備中なのですが、僕が年明けから闘病生活している関係で全てが遅れてしまっていて申し訳ない限りです。
正直体調の波は激しいのですが2月に入りようやく少しずつ身体が動くようになってきているので、なんとか遅れを取り戻そうと無理ないペースで仕事復帰しつつあるのが現況です。
この3月に刊行予定のバディットマガジンは「総論EPIC」をテーマにしたEPIC・ソニー大特集号です(並行して電子版の記事も少しずつアップされます)。
本の方はもうすぐ予約受付もスタートになるので僕やバディットマガジンのSNSなどを今後もぜひチェックしていただきたいです。
ところで、EPIC・ソニーは元々CBS・ソニーという母体から枝分かれして、80年代を目前にそれまでの日本にない新しいロックのレーベルを作ろうという趣旨で、丸山茂雄さん擁するチームにより生まれたレコード会社でした。
僕がEPIC・ソニーにこだわるようになったのは80年代中期にラジオで聴いた渡辺美里のデビュー曲「I’m Free」に衝撃を受けて(TBS系ドラマ「スーパーポリス」の主題歌でした)、エレファントカシマシ、大江千里、大沢誉志幸、岡村靖幸、小比類巻かほる、佐野元春、シャネルズ〜ラッツ&スター、THE STREET SLIDERS、土屋昌巳、TMネットワーク、THE MODS、BARBEE BOYS、松岡英明…といった、単に大好きなミュージシャンがいっぱいいたのがたまたまEPIC・ソニー在籍だったっていう理由ではありますが、後々聴いていきますとそれはたまたまではなくて、そもそものEPIC・ソニーの戦略がレーベルとしてカタログごと聴かせようという、横の連携を考えた独自のプロモーション戦略をしていたことに気づくわけです。
今回は池上さんから黎明期のEPICをテーマにしようというアイデアが出ました(池上さん曰く「裏エピック」)。
EPIC・ソニー45周年でいろんな企画があっても、なかなか取り上げられないレアな80年代の音源(結構サブスク解禁されていないのです…)とともに80年代中期のEPIC黄金期を迎えるまでの足取りを語っていく内容となります。
その中から一つだけ予告がてらご紹介しましょう。
EPICソニー立ち上げ当初は、母体CBSなり他レコード会社からの移籍組によりスタートしました。
リリース第一号となったのは「わかってください」のヒットで著名な因幡晃でした。
創作ペースでマネージメントのヤマハ側と軋轢が生じたことも要因となり、新天地EPICに移籍してきたのです。
ちなみにシングルレコードの商品番号は06・5H-1「如月湖(きさらぎこ)」、LPアルバムは25・3H-1『静炎(ほのお)』。
EPICで因幡晃と言われても今はあまりイメージはないですが、こうした移籍組により手堅いセールスに期待していたのがレーベル立ち上げ当初でした。
ちなみに他にはばんばひろふみがいてシングル「SACHIKO」のヒットを飛ばすこととなります。
そんな中、EPICからの新人ロックアーティスト第1号としてデビューさせたのが山本翔でした。
町田義人脱退後のズー・ニー・ヴーのシンガーだった人で、その後パフォーマンスというバンドでメジャーデビュー。
日本のミック・ジャガーと異名をとった彼は土屋昌巳率いる一風堂をバックバンドに、これまたEPIC黎明期を支えた要人、宇崎竜童の作詞作曲による「アレイ・キャット(野良猫)」でデビューしたのが1978年11年21日のことでした。
が、残念ながら当時のEPICのによる山本翔を売るぞっていう路線がどうも本人とはうまくいかなかったようで、山本翔はアルバム3枚、シングル5枚のみでメジャーでの活動をやめてしまうのです。
山本翔としては結局EPIC時代のこれら音源しかリリースされていないんですね。
ちなみにほとんど未CD化であり、サブスク解禁もされていません。
もしリイシューの企画などありましたら、池上さんと北村が監修のお手伝いしますのでお声かけください…。
80年代初期の黎明期EPICは宇崎竜童率いるダウンタウンブギウギバンドで路線を切り開こうという期待値があって、それに続きTHE MODSや一風堂、移籍組では子供ばんどが一時期在籍していたりして、海外レコーディングやリリースなども考慮してのさまざまな企画をしていました。
TVKテレビではEPICがスポンサーを務めるライブ番組『FIGHTING 80’s』もスタート。
この司会をしていたのが宇崎竜童であり、『FIGHTING 80’s』というのは80年代に入り新しいスタンスで音楽活動をしたいという宇崎竜童自身が提唱したテーマでもあったのです。
この『FIGHTING 80’s』でさまざまなアーティストが素晴らしいライブアクトをすると共に、EPIC在籍アーティストも出演することとなります。
放映リストを見ると初期ではばんばひろふみ、EPICデビュー前のシャネルズ、THE MODS、移籍してくる前の所ジョージ、子供ばんど、もちろん宇崎竜童やダウンタウンブギウギバンドも出演、『FIGHTING 80’s』最終回はソロアルバム『IN AND OUT』リリースタイミングの宇崎竜童が締めたのでした。
このTVKテレビとのメディアミックスのアイデアが同時にスタジオライブやプロモーションビデオを多用するビデオコンサート戦略につながっていき、のちに『eZ』という名作テレビ番組にも発展していきます。インターネットのある今のように容易に検索しても答えが出なかった時代、僕らには点在するものを自分の足で繋げて理解しようとする必要があったのですが、面倒臭くもあったけれども点在したものが実は一つなんだってわかったときはすごく驚きと共に充足感がありました。
そこにはアーティストサイドやスタッフサイドによる狙いがあり、メッセージがあったからです。
僕にとってEPIC・ソニーってそういう面白さを教えてくれた存在なのであります。
そのほんの一部分ですが、今回池上さんとたっぷり語っておりますのでぜひお聴きください。
ちなみに今回は裏EPICがテーマでしたので、3月のテーマは表EPICで行くとか、行かないとか…。
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